「Tokyoholic」/“プロデューサー・錦戸亮”の力

 2017年1月15日。12月中旬から約1ヶ月の間に渡って開催された“関ジャニ’s エイタ―テインメント”も無事に幕を閉じました。“KANJANI∞ LIVE TOUR 2008 ∞だよ! 全員集合”以来8年振りとなる、アルバムを引っ提げないで行われたツアー。一体どんなことをしでかすのだろう?と始まる前から胸の高鳴りを抑えきれず。その中でも個人的にビッグサプライズだった「Tokyoholic」。その時感じた衝撃をどうしても書き留めておきたいとは思っていたものの、ツアーの余韻に浸っている間に先延ばし先延ばしになってしまい。しかし、「なぐりガキBEAT」通常版に収録されることが決まり、ライブでしか聴くことの叶わなかったものがCD音源化されて世に放たれた今。この機会を逃したら、きっと一生ないのでは———そう思い立ったが吉日。勢いのままキーボードを打つ指を、見守ってみることにします。

 

 

 とりとめのない駄文、お許しください。

 

 

 錦戸さんが立ち上げた楽曲をメンバー全員でセッションしている模様が収録された“2016.10.25 session movie”。錦戸さんが関ジャニ∞というバンドに期待する熱量は相当なものであろうということ、それはきっと恐らくメンバーやファンも周知しているところであろうということは何となく理解しているつもりではいました。

 けれど、その上がりに上がりきっているこちらの期待値を遥かに超えてくるクオリティの高さ。自分の担当ではない楽器についてもどう演奏したらよりよいのかを把握する力。そして、思っていることを言葉や音で的確に伝える力。改めて“プロデューサー・錦戸亮”の力を思い知らされて、やっぱりこの人が創り上げるものが好きだ、と再確認して。この好きだ、という気持ちを仕舞っておくのに、どれだけのスペースがあれば全部取っておけるのだろうと、思わず頭を抱えてしまうように。

 

 

 これがシングルCDの映像特典だけで終わってしまうのならば勿体ない———そう思っていた矢先のことでした。まさか、まさか。歌詞があるだなんて。こんな形となって披露される未来が待っているだなんて。思ってもみなかったのです。

 

 

 今回の“関ジャニ’s エイタ―テインメント”はアルバムを引っ提げないで行われたツアーということで、当初から余計な先入観は持たずに、新鮮な気持ちで見よう!と心に決めていました。しかし、インターネットを開けば、情報が溢れ返っているこのご時世。Twitterのタイムラインに無条件に流れてくるあれそれを横目に見ながら、うずうずしながら待ち焦がれること約2週間。たった14日間なのに、途方もなく遠い未来のように感じていました。

 

 イントロが流れた瞬間、一段と早くなる胸の鼓動。突如スクリーンに映し出された“Are you Ready?”のテロップ。これから途轍もないものが始まる———そんな予感がしました。そもそも直前まで“2016.10.25 session movie”はインストであろうと信じて疑っていなかったので、そうか!そうきたか!と不意を突かれて。ドームを高く突き抜けるような歌声で、ただひたすらに、がむしゃらに「Tokyo!」「Tokyo!」と叫ぶ彼らに、一瞬にして心を鷲掴みにされました。こんなにも関ジャニ∞にしか歌えない曲があるのか?と、センターステージのど真ん中でど直球に熱く歌い上げる彼らを目の当たりにして、ただただ呆然としていたのを覚えています。骨抜きにされた、とはまさにこのことだと体感したというか。

 

 

 その中でも最も胸が熱くなった、きっと錦戸さんをお好きな方であれば誰もが共感してくださるであろう、あのソロパート。

 

 

「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」

 

 

 私の拙い語彙力では到底表現できない、この感情。気がついたら、頬に涙が伝っていました。

 何でもそつなく熟すように見えて、実は誰よりも努力家で。けれど、必死にもがいて努力している姿を人に悟られたくはない。そういう自分を見せるのは格好悪いから、表にはすでに完成されたものだけを提示しようとしている、というか。“元気が出るLIVE!!”で披露されたサックスなんか、まさに。数年前、某番組*1で楽器部屋の写真が公開された時は「(サックスは)プーと音が鳴るだけ」「売り払えば?」なんて冗談交じりに話していたのは、寡黙であることを美学とする、ひたすらに「語らない」ことを貫いているからなのか、それともただの照れ隠しなのかは分からないけれど。そんな彼が、ドームに詰め掛けた5万5,000人の大観衆を前にして「こっちも必死なんじゃ」と形振り構わず叫ぶので、何だかこう、堪らないですよね。

 

 

 いつか前に錦戸さんがJohnny’s webの連載「関ジャニ戦隊エイトレンジャー」で語っていた、

 

 

「31かーー。とか考えてまう時間帯ですね。東京で一人暮らし始めたんが、1リットルの涙やってる頃やから10年以上経つんやとか考えてまう。っていうか、そんな歌作ってます」

 

 

 ———というのが、この「Tokyoholic」だとしたら。とんでもないものを2016年(2017年)に放りこんできたな、というのが正直なところです。メンバー全員が関西生まれ・関西育ちの彼らだからこそ歌える、逆を言えば彼らにしか歌えないであろうこの「Tokyoholic」。

 ドラマ「1リットルの涙」への出演が決まり、「手探りやったけど、必死だった」「東京もう住んでもうたから、絶対やっていかなあかん」「中途半端に(大阪に)帰られへん」*2と、たった一人で向かった東京。東京ー大阪間の新幹線代ですら勿体ないと、ご褒美に貰ったグリーン車のチケットをわざわざ払い戻し、自由席に乗って帰った下積み時代。

 かつて彼らにとって東京は「仕事をする場所」であったはずなのに、今では「一年のほとんどを過ごす場所」になっていて。人気が関西地区だけでなく全国区へと拡大している、東京でもグループ名だけでなく個人名までもが知れ渡りつつある、この2016年。関ジャニ∞というグループとして新たなステージへ、更なる高みを目指して進もうとするこの時期に、「I don’t like Tokyo!!」「I hate Tokyo!!」「I can’t hate Tokyo!!」と最高に泥臭く、最強に熱く歌い上げる彼らが眩しくて。デビュー当時の若さ故の危うさだったりギラギラ感はどこかに置いてきてしまったかもしれないけれど、あの頃のような噛みつく隙を狙う狂犬のような、ハングリー精神の塊のような関ジャニ∞がそこにはいました。地方出身・地方在住の私には、この歌詞が持つメッセージを全て受け止めることは到底無理なことなのだけれど。それでも、それでも。じんと心に沁みました。

 

 

 クレジットの“作詞・作曲 錦戸亮”という文字を読むたびに、心がきゅぅっとするこの感覚。今この時点の錦戸さんを目いっぱい好きでいるつもりなのに、当たり前のように「好き」という気持ちを更新してしまうのだから、この際仕方がありません。

 

 きっと錦戸さんの頭の中にはAとBとはたまたZ、といったような発想の引き出しがいっぱいあって、それを丁度いい塩梅に料理するのに長けている、といつも感心してしまうのですが。それでいて、“The・錦戸亮”という世界観は失われていない。むしろ、歳を重ねるごとにますます色濃くなっていって。

 けれど、そんな独特の感性やこだわりを持っているのに、意外とそれが伝わっていない———というか、錦戸担とその界隈ではあまりにも差があるように感じてしまうことも事実で。それは、「錦戸亮」というネームバリューがあまりにも大きすぎて、彼の本質が見えにくくなっている(または見ようとされない)せいかとも思っています。例えば、「(関ジャニ∞の)他のメンバーのことはよく知らないけれど、錦戸亮だけは知っている」と言われてしまうことであったり。10代後半~20代前半にかけての怒涛のスケジュール、「休みが年に2日しかなかった」という過去が今を作っているということは言うまでもないけれど、本人の知名度や見た目の印象ばかりが邪魔をして、深いところまでは見てもらえない。そんな現状をもどかしく、歯痒く感じてしまうこともあるけれど。そんな独特の「感性」や「こだわり」を心ゆくまで味わうことが出来るのは、錦戸さんのことを好きになって、もっと深いところまで知ろうと思った人だけの特権、のような気がしています。

 

 

 月並みではありますが、やっぱり「錦戸担で良かった」。その一言に尽きます。

 錦戸亮さん。次は一体どんなものを見せてくれますか?

 “プロデューサー・錦戸亮”の次回作、期待しています!!

*1:2010年8月1日放送 日本テレビ系『おしゃれイズム』

*2:2012年4月20日放送 TBS系『A-Studio』