君と笑えたらそれがいい/錦戸亮さん (36) に寄せて

 

 錦戸亮さん、36歳のお誕生日おめでとうございます!!! 

 

 

 

 錦戸亮さん(36)———。36歳。『10年目だよ!見なきゃソンSONG ジャニーズカウントダウン歌合戦』にて披露された年男ユニットチューチューセブン黒紋付袴に身を包み「今年も本当に頑張って、意味のある2008年になったらいいなと思います!」と意気込みを語っていた錦戸さん (当時23歳) 。あれから12年、ちょうど干支が一周した今年。若さ故の危うさを纏っていた20代前半から、円熟した大人の色気すら醸し出す30代中盤へ。歳を重ねるほどに魅力を増して、ますます目が離せなくなっている。かっこいい大人になったなと思いに耽る、そんな2020年11月3日です。 

 

 

 

 錦戸亮さん。35歳、貴方にとってどんな一年になりましたか? 

 

 

 

 2019年9月30日を以って、12歳から約22年間所属したジャニーズ事務所を退社。その翌日から自主レーベルNOMAD RECORDSを発足し、ソロアーティストとしての活動をスタート。デビューアルバムNOMADのリリース、初のライブツアーの完走と、ソロアーティストとしての一連の活動をたった半年でやり遂げた錦戸さん。 

 

 

こんにちは。 

錦戸です。 

元気ですか? 

何かしてないとやばいっすね。 

僕は回遊魚ですね。 

溺れないようにしないとね。

 ———いつかの関ジャニ戦隊∞レンジャーでそう語っていたように、まるで本当に回遊魚にでもなったかのように、独立後、休むことなく密度の濃い時間を走り抜けた錦戸さん。責任や経験を誰かと分かち合うこともなく、全てを自分が受け止める状況に苦しさはなかったか?そう問われ、 

苦しいことなんてなかった。辛いことは、ほんまにゼロって言ってもいいくらいないかもしれない。

  だなんて、もう。かつてお墓に入るまで付き合っていきたい関係」と語っていた、ようやく見つけた居場所 (=関ジャニ∞) を離れて、一人でやっていく決意をした。そう決意をしたのは紛れもなく自分の意志だけれど、ソロアーティストとしての活動を開始しアルバムをリリースするまでの2か月弱、ずっと自宅に缶詰状態になり、リリースする楽曲全ての作詞・作曲を手掛けたという錦戸さん。誰に意見を仰ぐわけでもなく、「なんやねん俺」って思いながらもやっていたというその期間は、四人兄弟の三男坊として生まれ育ち、ジャニーズ事務所としては初の試みとなる2つのグループ (=NEWS関ジャニ∞) を掛け持ちしてのデビュー。常に家族やメンバーに囲まれていた日々を過ごしていた彼にとって、きっと孤独であったに違いありません。苦しくない、辛くないはずなんてないのに。精一杯「苦しい」「辛い」という感情という感情に蓋をして、ひとり孤独と向き合いながらあれだけのクオリティのアルバムを作り上げたのだと思うと、それだけで胸が詰まる思いがしますが。改めて、そう言い切ってしまえるところに強さを感じずにはいられなくて。 

 

 

 こうして完成した自身初となるソロアルバム『NOMAD』の素晴らしさは言わずもがな。ジャニーズ事務所の長きにわたる歴史の中でも、2つのグループで同時並行で活動してきたという経験を持つ錦戸さん。いくつもの視点が己の中に並走するような稀有な感覚を持ち合わせた彼ならではの、自意識のようなものを凌駕した、かなりバラエティに富んだ楽曲の数々。アルバムからの先行配信曲であり、実体験に基づくノンフィクション的な状況と心境を歌った『バッジ』、女性目線の歌詞が印象的な『ヤキモチ』、高校時代の同級生の結婚式のために作ったという真っ直ぐなラブソング『いとしのエリ』———。ジャニーズ事務所所属のアイドルだった時代には考えられなかった楽曲の数々に、まだ見ぬ才能や可能性の奥行きを感じずにはいられなくて。 

 

 

 

 退所することは、同時に大手事務所という後ろ盾をなくすということ。不安はなかったか?という問いに「不安はありましたよ、もちろん。」と前置きをしながらも、 

今、35歳。おっさんになっても同じことをしている自分は考えられない。まだ天井が見えない早いうちに舵を切ろうと思いました。大きい船から飛び降りて、小さいヨットに乗り換えたって感じですかね。これまでは乗組員の顔もわからん、ボイラー室に誰がおるのかも知らんほど、でかい船だった。守られてた。

 

ほかの人が創った歌を、中途半端な歌唱力で歌うくらいなら、一生懸命に自分が創ったメロディと言葉で、へたくそでも歌うほうがカッコいいと思う。そっちを選んだ。

  ———長年苦楽を共にしてきた、ツインボーカルの“片割れ”の脱退。そして、グループの中では唯一の同級生であるメンバーの髄膜腫の開頭手術。予想すらしていなかった2つの大きな出来事で、それぞれが“自分たちの人生”、“これからの生き方”を考える中で、錦戸さんが選択したのが、関ジャニ∞からのグループ脱退とジャニーズ事務所からの退所。「いろんなタイミングが重なったのが、去年やったのかな」と振り返るように、人生の岐路で大きな決断をした錦戸さん。 

 

 

「僕なりの形で、僕なりのエンターテイメントは何なのかを、改めて考え、これからも発信し、恩返しできるよう努めていきたいと思います」

 ———その言葉が示すように、独立後のクリエイションはより血が通い、心が伴ったものばかりで。昨年末からの新型コロナウイルス蔓延の影響を受け、今年5月24日にハワイで開催が予定されていた赤西仁さんとの共同プロジェクト『N/A』のライブは中止に。落胆していたファンの元に届いたのは、『NO GOOD TV』のYouTubeチャンネル開設でした。『N/A』に限らず、感染拡大を防ぐため大規模なライブやコンサートが軒並み延期や中止になる中で、自宅で自粛生活を送っている人を少しでも楽しませたい。何かできることはないか、しっかり考えて提示してくれたのだということが見てとれて。日本とアメリカ、それぞれの自宅から動画を配信。住んでいる部屋の雰囲気が分かるだけでも身内のような親しみが湧いたのですが、何より、2人の雰囲気がリラックスして、とても楽しそうなことに引き込まれて。表情にも、発言にも、一つも嘘や無理や背伸びをしている様子がなくて。新たな魅力を再発見できました。一日でも早く、感染が収束する未来でありますように。その日まで、共に生き抜いていきましょう。

 

 

 

 そして、10月7・8日には、自身初となる無観客配信ライブ『錦戸亮 ONLINE LIVE “孤軍奮闘” at 日本武道館』『錦戸亮 ONLINE LIVE “不撓不屈” at 日本武道館』を開催。今年秋にアリーナツアーの開催を予定していたものの新型コロナウイルスの感染拡大を受けて開催を見送り、その代わりに今回の配信ライブに挑戦。日本武道館の入口前にたった一人で立ち、ソロアルバムのリード曲である『ノマド』をマイクを通さず、アコースティックギターの弾き語りで歌い出した錦戸さんを見ていたら。気づいたら、頬に涙が伝っていました。

 

 

 「派手な装飾なんていらない。ただスタンドマイク1本で歌っているだけで、かっこいいと思われるグループになりたい」———かつてそう語っていたように、派手な装飾もなければ、他に演者もいない。アリーナ中央の小さなステージにあるのは、スタンドマイク1本と、ずらりと並んだギターのみ。そんなシンプルなステージにたった一人で立ち、全10曲を歌い上げた錦戸さん。

 

 

マジでソロアルバムだそう。

 

なんかいろんなアーティストに協力してもらってありがたいし、光栄なことやけど、 

マジで悔しい。 

だったらソロアルバムだ。 

みんな権力者に囁いてくれ!! 

錦戸にソロを 

錦戸にソロを

  ———あの頃思い描いていた未来とは少し違くても、錦戸さんと笑えたらそれがいい。そう思えるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

23歳だった、錦戸亮さんへ。

 

 今から13年前、2007年11月7日にリリースされたNEWSの7枚目のシングル『weeeek』に、こんな歌詞があります。

 

大人になるってどういう事? 

外面良くして35歳を過ぎた頃オレたちどんな顔? 

かっこいい大人になれてるの? 

  ———当時、23歳だった錦戸さんが歌っていたこのパート。あれから13年、この歌詞の通り「35歳を過ぎ」てしまった、この2020年11月3日。その頃の錦戸さんといえば、NEWSと関ジャニ∞の二足の草鞋を履き、片方のグループ*1ではグループ初となる台湾での単独公演を成功させ、もう片方のグループ*2ではジャニーズ事務所初となる47都道府県全てを回る全国ツアー (全113公演) を完走するなど、ブレイクの兆しを見せていました。その当時中学生だった私には、十分過ぎるくらい“かっこいい大人”に見えていたけれど、35歳を過ぎた今。若さ故の危うさや刺々しい雰囲気はすっかりなくなり、その佇まいにはどこか余裕すら感じられて。

 

 大丈夫。かっこいい大人になれてるよ。と、そっと背中を押してあげたいです。

 

 

 

 錦戸亮さん。大きい船から飛び降りて、小さなヨットに乗り換えて、見えた景色はどうですか?

 目的地なんて今はまだ言えなくたって、どうだっていい。右往左往するより、進んでいたい。一人になった今、自分で自由に舵を切れる状況にいて、自分次第でどこにでも行ける。大海に漕ぎ出した今、錦戸さんが操縦する小さなヨットの客席に座って「あっちの空、天気悪そうだからこっち行く?」って、まだ見ぬ場所へ、一緒に旅に出たいと思います。

 

 

 

 

 

 今までもこれからもいつまでも、隣にいてください。

 今日という日が、錦戸さんにとって素敵な一日になりますように。

 

 

 

 錦戸亮さん (36) の未来に幸あれ!!!

 

君の未来に幸あれ/錦戸亮さん (35) に寄せて

 

 錦戸亮さん、35歳のお誕生日おめでとうございます!!!

 

  タイトルにもありますが、キーボードを打ち込みながら錦戸亮さん (35) 、という数字に愕然としました。錦戸亮さん (35) 。好きになった当初、私はまだランドセルを背負った小学生、錦戸さんは20歳だったので、確実に時は流れているのだと感慨に浸るのと同時に、「好き」という気持ちも熱を帯びていく一方で収まる気配を知らず、日々溢れ出してくることに驚いてもいる、この2019年11月3日です。

 今日を以って錦戸さんが35歳のお誕生日を迎えてしまったということは、どんなに足掻こうともがこうともう二度と錦戸亮さん (34) の世界には戻れない、ということです。錦戸亮、という名前の後ろに (34) と付く期間が365日間しかない。その「時」に限りがあることなんて、とうに分かりきっていたことなのに。今になって、「永遠」なんてないのだと、その言葉の意味を噛み締めています。

 

 

  錦戸亮さん。34歳、貴方にとってどんな一年になりましたか?

 

 

 「月9単独初主演」。錦戸亮さん (34) の一年を語る上で、絶対に外せないのはこのワードではないでしょうか。“NEWS・錦戸亮”でも、“関ジャニ∞錦戸亮”でもない。いわゆる“(ジャニーズ事務所所属の)アイドル・錦戸亮”からではなく、“俳優・錦戸亮”がきっかけでファンになったことが影響しているからか、やっぱり“俳優・錦戸亮”には特別な思い入れがあって。

 

 

「もう10年以上、演技の仕事をさせていただいていますが、自身の芝居に手ごたえを感じているかと訊かれても、自分から「感じています」とは言えません。ただ、手ごたえを感じる作品に出演したい」とは常に思っています。

 (中略)個人での活動も同じで、せっかくやるなら自分にしかできないことをやりたい。そういう意味で僕にとってお芝居の世界は、自分がいたい場所であり、唯一、ここだったら勝負できるかもしれないという場所なんです。」

 ———「自分がいたい場所」であり、「唯一、ここだったら勝負できるかもしれない」というお芝居の世界。その場所で、たった一人で戦う錦戸さんを見て、ああ。彼は、錦戸亮は、こういう人だったと。どんな仕事でも恐れず先陣を切って突っ込んでいく。多くを語らずとも、いつだって、色んな壁を、峠を。そして、私たちファンの期待を遥かに越えて楽しませてくれる彼のことだから。次はどんな世界を見せてくれるだろう、何をしでかしてくれるだろう。期待をするな、と言われても。どうしたって、期待をせずにはいられなくて。

 

 

「原作や台本を読んだときに、まずクールな印象を受けました。ただ、本読み(台本の読み合わせ)をしたときに、「もっとクールな方が良い」と言われて…。僕の中で考えていたイメージより、もっとクールな感じを出さなければいけなかったので、「クールって難しいな」と。22、3歳でクールな役を演じるときは、多分何の抵抗もなく出来たと思うのですが、34歳にもなってくると、ちょっとクールって恥ずかしくなってくるんですよ (笑) 。でも、クールというか、大人の冷静さみたいな部分を出せるような、22、3歳では出せないような雰囲気を作れればいいかな、と思っています。」

 ———ドラマ初回放送開始前のインタビュー、「真野礼二というキャラクターに対して、どのような印象を?」と尋ねられ、そう意気込みを語った錦戸さん。「今までで一番クールと言うか、ちょっとカッコイイ感じの喋り方してます。」と、“俳優・錦戸亮”史上で最もクールな役だという真野役。演じている本人がそう言うくらいなので、一体どのくらいクールなんだろうと思いを廻らせていましたが、それでも100%成立させた。22、3歳では決して出せなかったであろう大人の冷静さと男の色気で魅せたのは、さすが“俳優・錦戸亮”だと。

 

 

 

 ドラマ制作発表会見にて、

「次の(時代に)変わったとしても覚えてもらえるような、僕にとって『ロンバケ』、誰かにとっても『ロンバケ』(のような作品)になればいいなと思います。」

 ———と今年の抱負を語った錦戸さん。今までの月9の常識を覆す本格派サスペンスドラマ。王道、ではなかったかもしれない。けれど、間違いなく心に残る「誰かにとっての『ロンバケ」になったと思います。「主演でなんか一個欲しい」という錦戸さんにとっての代表作が見つかったこと。そのくらい、錦戸さんにとって大きな分岐点=ターニングポイントになったであろう、この『トレース~科捜研の男~』。

 

 

 

 

 

 けれど、まさか。まさか、35歳を目前にして、大きな分岐点=ターニングポイントが錦戸さんの元にやってくるだなんて、夢にも思っていませんでした。

 

 

 

 

 

 2018年7月8日。2015年5月10日の番組開始以来、初の生放送が行われた『関ジャム 完全燃SHOW』を最後に、“関ジャニ∞渋谷すばる”としての最後のテレビ出演は終了し、それと同時に、“7人の関ジャニ∞”は終わりを告げました。

 

 

 本当に本当に本当に最後の、“7人の関ジャニ∞”、最後の演奏。『LIFE~目の前の向こうへ~』。序盤・すばるくんとのパート、「まだまだ終わらないから」を歌い上げた後。感情を露わにして、一筋の涙を流した錦戸さん。

 

 

  “事務所に入所したてで右も左もわからない13歳の僕を、可愛がり道標を示してくれた”先輩である、すばるくん。しかも、“関ジャニ∞でもずっと2人で歌ってきた”、同じメインボーカルを務める2人。理由は違えど、またメンバー一人がグループから離れてしまうという現実。寂しくない、辛くないはずなんてないのに。それでも、精一杯「寂しい」という感情に蓋をして、これからの道を一人で切り拓く決心をした仲間の背中を押してくれた。「門出の日」なんて、なかなか言える言葉じゃない。改めて、強い人だと思い知らされたのですが。

 

「でも正直僕は次のステージしか見据えてないです。」

「見ている皆さんが楽しめるかどうかはわからんけど、うん。越えなきゃ。色んな壁を 峠を 皆さんの期待を よっしゃ。」

 ———会見でも、『関ジャニ戦隊∞レンジャー』でも。そして、『関ジャム』でも。じっと前を見据えて、力強い言葉で、折れないように必死に自分を奮い立たせていたけれど、本当は「やっぱ寂しかった」んだと。

 

 

 

正直、世の中に「永遠」なんてない。

 ———誰よりも「永遠」という言葉を信じ、「永遠」という言葉に縋っていた錦戸さんが、「永遠」なんてないことを知ってしまった、あの日から。

 

 

「6人の関ジャニ∞もいつまで続くかなんてわからへん。」

関ジャニ∞錦戸亮として、過ごせる間は精一杯やりたいと思います。」

 ———「永遠」なんてないけれど、その言葉がある限り、私も精一杯ついていこうと。

 “7人の関ジャニ∞”として最後の『関ジャム』生放送を終えた後。ジャニーズ事務所を、そして関ジャニ∞を“中退”したすばるくんへ向けて送ったメール。「これからの関ジャニは僕が引っ張って行きます。」という言葉の通り、関ジャニ∞のメインボーカルとして、エースとして。6人の新体制で臨んだ初の5大ドームツアー『GR8EST』。あの泣き顔はどこにもなくて、強く導いてくれた、半端なく逞しくなった錦戸さんがいました。中には錦戸さんから「誰にも彼の代わりなんてできないでしょうからね。ていうのは僕はすごく思ってたから『ごめん、俺に歌わせて』って言いました」「誰かが代わりに歌うぐらいやったら俺がそのまま歌う」と言った曲もあったそうで。今まですばるくんが歌っていたパートを引き継ぐ、ということ。言葉にすれば簡単ですが、そこには並みならぬ思いとプレッシャーがあったはずで。改めて、彼の“覚悟”を感じざるを得ませんでした。

 

 

 

 「7人が6人になること。世間からは一人減るだけ。言葉にすればそれで終わりですが、そんな簡単なことではありませんでした。一人がいなくなることにより、絶妙に保っていたバランスが急に崩れてしまいました。そこからヤス(安田さん)が動けない状態での5大ドームツアー。どうにか皆に気づかれないように頑張っていたんですけど、心は擦り切れて限界に近づいていました。」

 ———錦戸さんの関ジャニ∞からのグループ脱退とジャニーズ事務所からの退所が報じられてすぐ、自身がパーソナリティを務めるラジオ『オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん』の番組冒頭、ファンへ今の思いを伝えたいと用意してきた手紙を約10分に渡って読み上げた大倉さん。「eighterのみなさんへ」と始まった手紙には、今の率直な思いが綴られていました。全員が満身創痍の状態でグループ活動や個人活動を続ける中、それぞれが“自分達の人生”、そして、“これからの生き方”について考え、メンバー同士で沢山の話し合いを重ねた結果が、今のこの選択。

 

 

 「全員がグループを閉じる選択をした」中、錦戸さんが選択したのは、7月から始まる5大ドームツアーを最後にグループから脱退、9月末でジャニーズ事務所を退所し、新たな活動を始める、ということ。

 

 

「僕なりの形で、僕なりのエンターテイメントは何なのかを、改めて考え、これからも発信し、恩返しできるよう努めていきたいと思います。」

 ———彼が言う、“僕なりのエンターテイメント”。その本質が、このジャニーズ事務所を通して発表された文書から、全く読み取れないこと。芸能活動を続けていくであろうことは確定だとして、一体これから何をやっていきたいのか。

 

「(関ジャニ∞のメンバーとは)お墓に入るまで付き合っていきたい関係」

関ジャニ∞を辞める時は、芸能界を辞める時」

  ———そう公言していた彼が、20代最後、30代を目前にしてようやく見つけた“居場所”(=関ジャニ∞)を手離してまで、発信していきたい“僕なりのエンターテイメント”って何だろう?

 それは、関ジャニ∞というグループにいては追い求めることのできないものなの?

 

 

 

 

 

 何で?どうして?

 

 

 

 

 

 いくら考えてみても、その答えは出るはずなんてなくて。けれど、12月11日発売の第一弾アルバム『NOMAD』のCDリリースに先駆けて、アルバムのタイトルでもあるリードトラック『ノマド』の先行配信を聴いて。

 

 

目的地なんて今はまだ言えなくたって どうだっていいんだ

右往左往するより 進んでいたいから

  ———私の拙い語彙力では到底表現できない、この感情。気がついたら、頬に涙が伝っていました。

 

 

 2019年9月5日。7月から始まる5大ドームツアーを最後にグループから脱退、9月末でジャニーズ事務所を退所することが発表されてから、9月30日を迎えるまでの約1ヶ月間。9月3日に千秋楽を迎えた「5大ドームツアーを最後にグループから脱退」したということは、発表された時点ですでに“6人の関ジャニ∞”は終わっていて、もう二度と“関ジャニ∞錦戸亮”には会えない、ということ。その事実だけが、どうしたって寂しくて、悲しくて。7人でも6人でも5人でも、関ジャニ∞を好きな気持ちに変わりないはずなのに、そこに彼がいないこと。自身2度目となる47都道府県ツアーの開催、新曲『友よ』が日本テレビ土曜ドラマ『俺の話は長い』の主題歌に決定、ホストを務める『関ジャムFES』の発表———。彼のいないところで新たな歴史がはじまることが辛くて、その行き場のない思いをどこにぶつけたらいいのか。その答えを、見つけられずにいました。

 

 

 2019年9月30日。“(ジャニーズ事務所所属の)アイドル・錦戸亮”として、本当に本当に本当に最後の日。この日を最後に、しばらく錦戸さんの姿を見ることはできないかもしれない。そして何より、これから先の具体的な活動の指針が分からないことが不安で。音楽なのか、芝居なのか、はたまた違った分野なのか。既存の事務所に所属するのか、個人で事務所(レーベル)を立ち上げるのか。いずれにしても、この機会を逃したら、もう二度と“(ジャニーズ事務所所属の)アイドル・錦戸亮”さんへ、感謝の気持ちを伝えることができなくなる。いつも「ありがとう」を貰ってばかりで、何もお返しできていない。「応援して頂いた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです」という言葉を残して去っていく錦戸さんの気持ちに、せめて応えてあげたかった。後悔なんてしたくない。その思いに突き動かされて、14年間書けずにいた、ファンレターを書きました。

 錦戸さんへの「好き」という気持ちが積もりに積もってブログを開設するまでの私が、いざ本人に届ける形で書くと一体どんなファンレターになるのだろう。伝えたい言葉は山のようにあったけれど、「好き」という気持ち。そして、最大級の「ありがとう」と、心の底からの「お疲れ様」。その気持ちさえ伝わればいい、という結論に行き着いて、便箋2枚分、約1,500字に思いを落とし込めました。封筒に切手を貼って、郵便局まで出向き、ポストへ投函する時。どうか、笑っていてほしい。どうか、幸せでいてほしい。そう、強く思っていました。

 

 

 ジャニーズ事務所とのタレント契約が満了する9月末。その日を迎えてしまったら、しばらく錦戸さんの姿を見ることはできないかもしれない。1年、いや、2年。それ以上でも。余裕で待つ覚悟だってできていました。けれど、日付が変わった10月1日午前0時。こちらに「寂しい」「悲しい」という感情を抱かせる前に、そして、“天性のアイドル”だった錦戸亮との別れを惜しむ暇さえ与えないくらいの、秒速での再始動。まさか、こんなにも早く姿を見せてくれるだなんて思ってもみなくて、YouTubeで解禁された映像(Point of Departure)を見た瞬間、思わず自分の目を疑いました。え?嘘でしょう?本当に?———さすが、困っている女は見たくない。本物のスーパーマンには敵わないけど、出来るだけ早く君のところへ飛んで行く。愛の戦士・ラブスーパーマンは違うな、と。

 

 主宰レーベル『NOMAD RECORDS』設立&アルバムリリース、全国ツアー『錦戸亮 LIVE TOUR 2019 “NOMAD”』開催決定、ファンクラブオープン、公式SNSTwitterinstagram・weibo・YouTube)解禁———。ファンになってからの14年間、当然“(ジャニーズ事務所所属の)アイドル・錦戸亮”としての顔しか知らなかったので、この1ヶ月間、今までに見たことのない錦戸さんの顔をたくさん見てきました。秒速でソロ活動をスタートさせた錦戸さんに置いて行かれないように、躊躇う暇もなく加速して。全開でアクセルを踏み込んで、その流れに必死に付いていこうとしました。けれど、どうしたって「寂しい」「悲しい」という感情を拭い去ることができない。錦戸さんから発信されている“僕なりのエンターテイメント”を純粋に楽しめていない。そんな自分がいることに、複雑な気持ちでいました。けれど、『ノマド』を聴いて。目的地なんて今はまだ言えなくたって、どうだっていい。右往左往するより、進んでいたい。きっと、これから先の具体的な活動の指針なんて決まっていない。けれど、やりたいこと、やるべきことは後ろにはないし、右でも左でもなく前に進むしかない。どこまでも真っ直ぐで、力強くて、化粧っ気のない歌詞。「さぁ 歌っていこうか」「さぁ 挑んでいこうか」と、形振り構わず叫ぶような歌声を聴いていたら、何だか堪らなくなって。そこにいたのは、何も変わっていない。私の知っている、私の大好きな、錦戸亮でした。

 

 

 

あの日描いた理想まで いつか辿りつけるまで

まだまだまだって 根拠のない自身が溢れ出す Monday

ノープランでも行こうぜ

何が起こるかなんて Nobody knowsで Anytime anyplace 準備はOK!!

  ———“(ジャニーズ事務所所属の)アイドル・錦戸亮”として。そして、“関ジャニ∞錦戸亮”として。最後に作詞した楽曲『月曜から御めかし』。

 

大人になるってどういう事?

外面良くして35歳を過ぎた頃オレたちどんな顔?

かっこいい大人になれてるの?

  ———22、3歳で同じように一週間をテーマにした楽曲『weeeek』を歌っていた錦戸さんが、その「35歳」になるのを目前に、新たな一週間を創り上げたこと。どう考えてみたって、これ以上好きになる以外の選択肢なんてなくて。

 

 

 

 大丈夫だよ。かっこいい大人になれてるよ。と、そっと背中を押します。

 

 

 

 34歳、おかげさまでとっても楽しかったです。錦戸亮 (33) の世界もとっても魅力的だったけれど、錦戸亮 (34) の世界は一層輝きに満ちていて。キラキラとして眩しかった。けれど、錦戸亮 (35) の未来は錦戸亮 (34) の世界より素晴らしいものだって、胸を張って言えます。

 

 

 

 今までもこれからもいつまでも、隣にいてください。
 今日という日が、錦戸さんにとって素敵な一日になりますように。

 

 

 

 錦戸亮の未来に幸あれ!!!

“天性のアイドル”だった、錦戸亮さんへ。

 

 “関ジャニ∞よりファンの皆さまへ大切なお知らせがあります。”

 

 

 

 ———2019年9月5日。午後3時5分。

 関ジャニ∞ファンクラブ会員宛てに、そう記されたメール伝言板が届きました。デビュー15周年を記念した5大ドームツアー『十五祭』が千秋楽を迎えた、たった2日後というタイミングでの“大切なお知らせ”。ジャニーズ事務所からこのような文面のメールが届くのは、幸か不幸か今回で2度目だったので、その“大切なお知らせ”が良い知らせでないことは、私のオタク人生十数年で培った経験上、何となく分かっていました。そして、それは大切で大好きな人・錦戸亮さんのこれからに関することであろうことも。

 

 

 今年の3月初旬。一部週刊誌で錦戸さんの関ジャニ∞からのグループ脱退とジャニーズ事務所からの退所が報じられてから、いつかは(しかも、そう遠くはない未来に)そんな日が来るかもしれない。もちろん、来てほしくなんてないけれど、彼がどんな決断をしようとも、それを全て受け入れられるだけのキャパシティは持ち合わせていないといけない、と。心のどこかで覚悟はしていたつもりでした。『十五祭』千秋楽、画面に映し出された“To be continued……”の文字。

僕らの歴史は、ここからはじまる。

 1,000人の客席さえいっぱいにすることができなかった彼らが、総動員数1,000万人を突破した今。気持ちを新たにしてデビュー16年目を迎える中で、その歴史を創っていくメンバーの中に彼がいないだなんて。本当は、全く覚悟なんてできていなかったのです。

 

  

 昨年末頃より目立ち始めた、一部のメンバーによる後輩グループ(関西ジャニーズJr.)のプロデュース活動。

 錦戸さんが主演を務めた2019年冬クール(1~3月期)の月9ドラマ『トレース~科捜研の男~』。その主題歌である、関ジャニ∞が歌う『crystal』。メンバー主演ドラマの主題歌というタイアップが付いた新曲。ドラマ放送期間中である3月にリリースされたにも関わらず、発売週前後の音楽番組で一切披露されなかったこと。

 2005年5月19日からJohnny's webの会員向け(有料コンテンツ)に連載されている『関ジャニ戦隊∞レンジャー』。その原稿14年分を1冊にまとめた本が、『十五祭』のグッズとして販売されたこと。

 『十五祭』ラスト。メンバー6人がVTRでファンへの想いを語る中で、

「 生きていれば、いろんなことがあります。僕たちも、皆さんも、その真っ只中にいる時は、自分がどこに立っているのかさえも分からない。どこかに根を張っているのか、今、蕾になっているのか、いつかは花を咲かせられるのか、自分では分からないことです。でも、僕たちはこれだけ個性のあるグループなんです。

 だからもし、別々のタイミングであっても、例え違う場所にいても、いずれは綺麗な花を咲かせてくれるといいなと思っています」 

  ———と結んだ大倉さん。

  『十五祭』千秋楽、フォトスポットに横一列に並んだ8体のGR8EST BOY。 

 

 

 大倉さんのメッセージに関しては、関ジャニ∞というグループを離れていった2人(内くん・すばるくん)のこと、本編ラスト『咲く、今。』への前振りも込められていると解釈していたので、そこまで深く気に留めていなかったのですが。中でも一番気がかりだったのは、『十五祭』が千秋楽を迎えた9月3日以降、関ジャニ∞というグループとしての活動が全く見えてこなかったこと。もちろん、俳優業やバラエティ、ラジオ番組など個人としての活動も目立つようになった近年、決して珍しいことではないのかもしれません。

 けれど、先日行われた『関ジャニ∞のジャニ勉』の収録。来月10月15日に開幕する主演舞台『忘れてもらえないの歌』のリハーサル真っ最中である安田さんはまだしも、錦戸さんも欠席であったこと。そして、千秋楽公演から2ヶ月も経たないうちに『十五祭』のDVD&Blu-rayがリリースされること。前回の『GR8EST』が約4ヶ月後、前々回の『ジャム』が約6ヶ月後だったので、まさに異例のスピードでのリリース。こんなにも急いでリリースしなければならないのには、まだ表には出せない深い事情があるはずだ、と。

 

  そんな時に届いた、一通のメール伝言板。そのどこか見覚えのある文面が、約1年半が経った今、再び自分の元に送られてくることになるなんて。しかも、その内容が想像できていたから。そして、その当事者が彼であろうことも分かっていたから。ついに、ついに、恐れていたことが現実になってしまう。あれ?息ってどうやって吸って、どうやって吐くんだっけ?———落ち着け、落ち着け。と思いながら、胸に手を当てて。目を閉じて。ただひたすらに、深く息を吸って、長く息を吐くことだけを意識して。その繰り返しをしながら、約1時間。彼(彼ら)からの言葉を、待ちました。

 

 

  錦戸さんと、これからの関ジャニ∞5人の連名のコメントを読んで、真っ先に漏れたのは「そうか……」の一言でした。きっと今までの私なら、結果は同じでも受け止め方はまるで違ったでしょう。それは、あの日———2018年4月15日。世の中に「絶対」なんてないことを知ってしまったから。傷つくことを恐れて、目の前の現実から目を背け、見ないふり気づかないふりをして。四方八方から飛んでくる鋭い矢から自分を守るため、頑丈な鎧を纏って。必死に予防線を張っていたからなのだと思います。

 

 

 

 正直、世の中に「永遠」なんてない。 

   誰よりも「永遠」という言葉を信じ、「永遠」という言葉に縋っていたはずの彼が、そんな言葉を口にしたあの日から。「永遠」なんてないけれど、せめてあと少し。もう少しだけ。“錦戸亮が引っ張るこれからの関ジャニ∞”を、見ていたかった。

 

 

 

 横山さん。多分、横山さんにとって今の年下組が初めての後輩だったのだろうと思います。三人兄弟の長男で面倒見のいい横山さんにとって、それはそれは可愛くて仕方のない存在だったであろうことが過去の映像からも見てとれます。その中でも、群を抜いて小さかった錦戸さんを特に可愛がっていた印象があって。今考えてみると、親元を離れて東京で一人で仕事をする錦戸さんに無意識に年の離れた自身の弟の姿を重ねていたのかもしれません。Jr.時代、まだまだ駆け出しでお金もない時期に横山さんが食べ放題の焼肉に連れて行ってくれたのがよっぽど嬉しかったのか、(20年以上前のエピソードを)未だに顔を赤らめて話す錦戸さんと、恥ずかしそうに振り返る横山さん。照れ屋で恥ずかしがり屋の2人なので、お互いの距離感を掴むのが本当に下手くそで、一方的にやきもきさせられたりもしましたが。メンバーの中で唯一横山さんだけが呼ぶ「どっくん」というあだ名。きっと、錦戸さんにとっても「横山くん」だけの特別なものだったのだろうと思います。根っからの長男気質でしっかり者の横山さんと、根っからの末っ子気質で甘えたな錦戸さん。そんな2人がユニットを組み、共同制作した楽曲『バナナジュース』。2012年に発生したバナナジュース事件。その3年後、冗談交じりの「そんなにバナナジュース好きなら曲作れや」という言葉が、現実となる日が来るなんて。タイトルが発表された時は、本当にこのネタで作ったのか……!と思わず笑ってしまったけれど、まさかのトランペット×横山さん・サックス×錦戸さんというムーディでオトナなアレンジに度肝を抜かれ。こんなにお洒落で甘酸っぱくて、素敵な物語になるなんて。演奏を終えた後、達成感に満ち溢れた表情で、ハイタッチを交わす2人が大好きでした。発表当日の昼、いつもと何ら変わらない様子で『ヒルナンデス!』に出演していた横山さん。番組終了後、同じく木曜パーソナリティを務める事務所の後輩(ジャニーズWESTの桐山くん、中間くん)の楽屋まで足を運び、「迷惑掛けるかも」と話していたというエピソードを聞いて、あの笑顔の裏に一体どれだけのものを抱えていたのだろうと。「関ジャニ∞は、僕らだけのものじゃない」「僕らの感情や思いだけで、どうのこうのなるようなグループじゃない」から。ここで、歩みを止めたくなかったのだろうと。最後まで強く逞しく、そしてどこまでも心優しい「どっくん」のお兄ちゃんでいてくれて、ありがとうございました。

 

 村上さん。錦戸さんが東京で一人暮らしを初めて間もない頃、寂しくて仕方がなくなり「村上くぅん、一人暮らしって何食べたらええの……」と電話をしたという、かの有名なエピソードがありますが。こうやって、寂しいと思った時に無条件に甘やかせてくれる村上さんの存在に、錦戸さんは何度も助けられたのではないかと思っています。お互いの仕事について、

錦戸「俺は、ドラマとか映画とか集中的に働くから。漁に出るみたいなもんやね (笑) 」

村上「俺は畑耕すほうやからね (笑) 。でも漁には漁の大変さがあると思うわ。大量の旗上げんと帰れんようなとこがあるし」

錦戸「それはあるな。でも村上君はいろんな作物育てなあかんからね」

村上「あっちで肥料やったりこっちで水やったり、な (笑) 。お互い頑張っとるなー」

 ———と、俳優業と司会業。フィールドこそ異なりますが、お互いの仕事を認め合って、讃え合って。馴れ合いではなく、誠心誠意、目の前の仕事に全力で取り組む。“プロ”のエンターテイナーの2人が大好きでした。唯一の心残りがあるとすれば、村上さん×錦戸さん、2人のユニットが見られなかったこと。錦戸さんが作詞をした村上さん×丸山さん×錦戸さんのユニット曲『ビースト!!』のセリフパート。同じく錦戸さんが作詞・作曲をした『Tokyoholic』、「アイム  ソー  ダム  ハングリー  満たされへんまままた消化してく  エビデイ」然り、“プロデューサー・錦戸亮”が演出する世界観の中に存在している村上さんが大好きだったので、「さあ、次は何をしでかしてくれますか?」と楽しみにしていたのですが。『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』。番組冒頭、“相方が人質に取られたらいくらまで払う?”という質問がされ、「(関ジャニ∞のメンバーとして)絶対人によるでしょ!」「一番高い人は2人います。大倉錦戸は一番払います」「俺正直、『なんぼ払ろたらええねん!』って言うて、(相手が)言うてきたら、もう一発でその額……『分かった』って言いますよ」「2億(円)でも。逆に『2億(円)でええんか?』って聞く」と答えた村上さん。3月末には今の体制になることが決まっていたそうなので、どういった気持ちで言ったかどうかまでは分かりませんが。ライブのMC、自分から話題に入って行くのが苦手な錦戸さんに「亮は?」と何度も話を振ってくれたり、錦戸さんのことを話す時「あの子」と言う村上さんが大好きでした。ちょっと難しい子でしたが、そんな「亮」ですら温かく受け入れてくれて。一人でやっていくと決めた彼の背中を押してくれて、ありがとうございました。発表当日の夜、『FIBAバスケットボールワールドカップ2019』にスタジオ生出演していた村上さん。体力・気力ともにタフな印象の強い彼ですら、さすがに疲れ切っているように見えました。どうか、どうか、ゆっくり休めていますように。

 

 丸山さん。錦戸さんが抱く年上組への「好き」や「憧れ」といったものとは相反した意味で、丸山さんのことが大好きなのだろうと思う瞬間がたくさんあって。

丸山「もし僕が女の子やったら、メンバーの中で一番顔がタイプです」

錦戸「僕が女の子やっても、君の顔が一番タイプです」

  ———普段は「マル!マール!」と噛みつき、丸山さんが思わず「僕の方が年上やのに……」とぼやくほど、当たり強めの錦戸さんですが。けれど、それは決して貶している訳ではなくて。メンバーとしてその努力を間近で見てきているからこそ、2012年夏クールに放送されたドラマ『ボーイズ・オン・ザ・ラン』で、丸山さんが連続ドラマ単独初主演を務めることが発表された時。口に出すことはありませんでしたが、実はとっても嬉しかったのだろうと。『えげつない』、錦戸 VS 丸山 フリースタイルラップバトル。5大ドームツアー、札幌・大阪・名古屋・東京と4都市を廻り、その最終都市・福岡。これまでオリジナルで歌われてきたものではなく、自らラップ部分を作詞。この日のためにスペシャルバージョンで披露した錦戸さん。VSと謳ってはいますが、そこには錦戸さんから丸山さんへの溢れんばかりの愛情しか詰まっていなくて。恐らく、当日まで知らされていなかったのでしょう。錦戸さんからの不意打ちに「亮ちゃん…えっと、ちょっと待って……いやー、あの…嬉しいんやけど……あ、ありがとう亮ちゃん。あの…ホンマに……いつも、笑ってくれてありがとう。大好きです」としどろもどろになってしまい、思わず愛の告白大会に発展してしまったところも含めて、まるっと愛おしくて。村上さんと同じく、丸山さん×錦戸さん、2人のユニットが見られなかったことだけが残念ではありますが。錦戸さんが関ジャニ∞として最後に作詞した『月曜から御めかし』。発表当時錦戸さん、丸山さん、村上さんの順に揃って月曜日に番組に出演していたので、そんな2人のことも考えて作ったのだとしたら。それこそ、“粋なサプライズ”だなと。生出演した『サタデープラス』番組冒頭、今回のことで様々な報道がなされる中「何かちょっと変な風に伝わってしまう部分がある」と前置きした上で、「亮ちゃん一人がどうという風に取られてしまうと、僕たちグループとしても彼としても違う感じがするので、そこだけは勘違いしてほしくない」と、すかさずフォローを入れてくれた丸山さん。最後の最後まで多くを語らなかった「亮ちゃん」を守ってくれて、ありがとうございました。

 

    安田さん。錦戸さんとは、共に1984年生まれ。グループの中では唯一の“同級生”。見た目や性格、ほぼ両極端のところにいる2人ですが、その2人が並ぶと特別な空気感があって。言葉にできない信頼感と、阿吽の呼吸、とでも言いましょうか。そんな同い年の2人ですが、立場的には錦戸さんより安田さんが遥かにお兄ちゃんだと感じることが多々ありました。それは、安田さんが持っている“器の広さ”。錦戸さんがどう思っていようと、周りが錦戸さんのことをどう見ていようと、安田さんの中での錦戸亮という芯は決して揺るぎない。そして、錦戸さんから見た安田さんは、メンバーの中で唯一自分の弱いところも情けないところも、全てを曝け出せる人。ジャニーズ事務所に入所してすぐの頃から脚光を浴び、まさにエリート街道を突き進んでいた矢先。突然仕事が来なくなり、地元・大阪のアメ村で遊ぶだけの日々を過ごしていたという錦戸さん。そんなある日、『MUSIC STATION』に同期の安田さんと丸山さんが出演し歌っているのを目にし、ジャニーズ事務所を辞めると決心。その後、辞める旨を電話で伝えた時、安田さんに「もうちょい頑張れよ」と励まされたことで、続けることを決めた、と。あの電話のやりとりがなければ。さらに遡ると、1997年9月。丸山さん・安田さん・大倉さんと一緒のオーディションでジャニーズ事務所に入所した錦戸さん。会場では、安田さんが受験者全員に住所と電話番号を聞き、住所録を作っていたそう。錦戸さんにはその目的が一切分からなかったそうですが、「履歴書に書いてた電話番号が間違えとって、(事務所の人が)ずっと電話しても繋がらへんって。後々知ったんですけど、安田くんが住所を交換してくれてたから、それで『あの子の住所知ってます』って」と、結果として命拾いをすることになった錦戸さん。安田さんがいなければ、錦戸さんに出会うことすらなかったのだと思うと、本当に感謝しかありません。『ジャニーズカウントダウン』年男ユニット、袴姿にねずみのカチューシャの2人、見たかったな。満身創痍の状態の中、2人が作詞・作曲した『All you need is laugh』。一生のタカラモノにします。「同い年やし、怒ってくれる」。いつだって対等に向き合ってくれた「章ちゃん」の存在に、錦戸さんは何度も救われたのだろうと思います。いつも傍にいてくれて、ありがとうございました。

 

 大倉さん。 実年齢は錦戸さんが大倉さんよりも1歳年上ですが、四人兄弟の三男坊の錦戸さんと、関ジャニ∞の中では最年少だけれど三人兄弟の長男である大倉さん。大倉さんの“大らかさ”が影響しているからなのか、感情剥き出しで形振り構わず吠える錦戸さんを優しい眼差しで見つめる大倉さん、というように立場が逆転する場面がたくさんあって。「俺、アイツがおらな駄目やねん」———アイツ=内くんを失った、2005年の夏。 

「いやらしい言い方やけど、最初はメンバーの中で俺と内が引っ張ってってる、みたいな感じがあったやん?だから、その内がいなくなって、その後にドラマ『1リットルの涙』の話が来た時に、俺はこの仕事を死ぬ気でやらなあかんと思った。だから、ジャニーさんに電話して「東京に住んで死ぬ気で頑張ります」って言ってん。で、大倉にもそれを言った。その気持ちを伝えたいっていうか、同じ思いを持って欲しかったんやと思う」

 ———と、大倉さんにだけその胸の内を明かしたという錦戸さん。2002年12月、関ジャニ8が結成されると同時に、メンバーに最後に加入した大倉さん。そのためか、大倉さんを舐めていた部分があったそう。タッキー&翼大阪城ホールでライブをした時、思わず「ちゃんとやれ!」と叱って以来、誰よりも努力する人だと知ったから。誰に対しても虚勢を張る部分も多い錦戸さんですが、大倉さんになら、という思いがあったのだろうと思います。言わずと知れた“関ジャニ∞の花形”の2人。20代前半の若さ故の危うさを纏っていた『torn』を経ての、30代の円熟した大人の色気すら醸し出す『Steal your love』。しかも、sylが実現したのは「久々に一緒にやりたい」という大倉さんの誘いがあったからだそう。唯一の幼馴染のような存在である、「りょうちゃん」の旅立ち。「覚悟できていたはずの僕も、ぽっかり心に穴が空いたみたい」「すげえ寂しい」。自らがパーソナリティを務めるラジオ番組『オールナイトニッポンサタデースペシャル大倉くんと高橋くん』冒頭、ファンへ今の思いを伝えたいと用意してきた手紙を約10分に渡って読み上げた大倉さん。途中、何度も言葉を詰まらせながら、率直な思いを伝えてくれたこと。「りょうちゃん」にとって唯一の“弟”。隠し切れない本音からくる大倉さんの言葉に救われました。ありがとうございました。

 

 

  今はまだ、錦戸亮のいない5人の関ジャニ∞を全く想像できません。当日、17時に更新されたメッセージ動画で確認することはできたけれど、どうしてもそこに違和感しか感じられなくて。目標としていた人(錦戸さん)を見失ってしまった今、「これが今の関ジャニ∞です」と言われても、どんな気持ちで受け取ったらいいのか。その答えが、まだ見つけられずにいます。

 

 

 けれど、長年苦楽を共にしてきたメンバーの脱退、そして安田さんの大きな怪我。予想すらしていなかった2つの大きな出来事で、それぞれが“自分たちの人生”、“これからの生き方”について考える中で、グループを閉じるという選択肢もあった中、こんな状態でも頑張っていこうと5人でも関ジャニ∞を続けると決心してくれたこと。3月末に今の体制になることが決まっていたものの、ファンに心からコンサートを楽しんでもらいたい、デビュー15周年を迎えられたことに感謝したいという強く熱く純粋な思いから、コンサートツアーが終わるまで報告を控えてくれていたこと。その事実には、ただただ感謝しかありません。もちろん、グループがいつまで続くかなんて分からない。そして、そこに彼がいるのかさえも分からない。そんな不安を抱えた中で迎えた『十五祭』でしたが、始まってしまえばそんな不安も吹き飛んでしまうくらい楽しくて。6人の関ジャニ∞最後のライブが、悲しいだけの涙で終わらなくて、良かった。「傷だらけでも、泥臭くても、前を向いて上を目指す」。元々、ドブ板めくって出てきよったグループ*1だから。色々な転び方を知って、受け身を覚えた彼らなら、きっとどこへだって行けると思います。もう一度、君がくれた笑顔で笑いたいから。泣いててもいいから、笑顔で会えるといいな。

 

 

 

 この先5人の関ジャニ∞が歩む道に、聖なる光が射しますように!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦戸亮さんへ。

 

 今、どんな気持ちでいますか?

 体を鍛えたり、友達と話したり、お酒を飲んだり。やりたいことができていますか?

 今、心の底から。思いっきり笑えていますか?

 ———“NO ONE LOVES ME”、“Mr.Lonely”……寂しがり屋のうさぎちゃんな錦戸さんのことだから、また一人で抱え込んではいないかと。いくら無理をするなと言ったところで、絶対に無理をしないはずのない彼のことだから。限界なんてとうに超えているはずなのに、必死に「頑張らなな」と自分自身を奮い立たせて「死ぬ程頑張る」彼のことだから。本当に、一人になってしまった今。君が泣いていないか、泣いていないか心配です。

 

 錦戸さんがジャニーズ事務所に入所してから21年。私がファンになってからは14年。ペースの差こそあれずっと表舞台に立ち続けてくれていたので、先行きが見えない。7月から始まる5大ドームツアーを最後にグループから脱退、9月末にジャニーズ事務所を退所することが決まり新たな活動をする、ということだけは分かっていますが。 

「僕なりの形で、僕なりのエンターテイメントは何なのかを、改めて考え、これからも発信し、恩返しできるよう努めていきたいと思います。」

 ———彼が言う、“僕なりのエンターテイメント”。その本質が、このジャニーズ事務所を通して発表された文書から、全く読み取れないこと。芸能活動を続けていくであろうことは確定だとして、何をやっていきたいのか。常に具体的な活動の指針を示して、力強い言葉で導いてくれた錦戸さんなので、今までとは明らかに違う現状に戸惑いを隠し切れずにいます。

 

 

 

 今から14年前の秋、ドラマ『1リットルの涙』。頑固で意地っ張りで不器用だけれど、一途に恋人を想い続ける。そんな麻生くんを演じる錦戸さんに心を惹かれて。いつの間にか、気になる存在へと変わっていった頃。偶然目にしたニュース番組で、“俳優・錦戸亮”だけでない。NEWSと関ジャニ∞、2つのグループに所属する“アイドル・錦戸亮”として、2つの顔があることを知りました。

 

 ジャニーズ事務所としては初の試み、2つのグループを掛け持ちするという前代未聞の活動をすることになった錦戸さん。2つのグループを掛け持つということは、単純にメンバーの2倍働くということ。“NEWS・錦戸亮”として、“関ジャニ∞錦戸亮”として。二足のわらじを履く、唯一無二のアイドルだったからこそ、1つのグループにいただけではできない経験をすることができた。けれど、その経験が時として彼を苦しめることもあったのではないかと。なぜなら、喜びや楽しみだけじゃなく、悲しみや苦しみも2倍なのだから。

 

 

 NEWSと関ジャニ∞、2つのグループを掛け持ちするアイドル。2003年9月15日から2011年10月7日まで。NEWSと関ジャニ∞両グループの掛け持ちを解消し、関ジャニ∞一本で頑張っていくと決意するまでの約8年間。ただ単純に事実を伝えるだけなら、この言葉だけで十分なのかもしれません。

 

 

 今回のことで、新聞・雑誌・テレビ番組・ラジオといったマスメディアが様々な報道をする中。錦戸さん本人が何も語らないのをいいことに、「~でやっていきたいと思っているらしい」「~に憧れたらしい」と、何の根拠もなく臆測や思い込みで勝手に真実を作り上げ、その臆測や思い込みを恥ずかしげもなく披露するコメンテーター、自称・関係者に、そろそろ嫌気がさしてきた頃。同じジャニーズ事務所の先輩である(国分)太一くんがメインMCを務める朝の情報番組『ビビット』を見ました。脱退から退所までの経緯、錦戸さんのこれまでの活躍をVTRで紹介した後、

「年齢的には34歳です。普通の仕事をしていても、いろんなことを考えると思います。サラリーマンの方でも、転職なんかを考える。グループとしての存続も考えたと思うんですけど、それプラス一人として『何ができるんだろう』というチャレンジを考えるのも普通だと思うんですけどね。

 その結果、錦戸の場合は関ジャニ∞を脱退し、ジャニーズ事務所を退所し、そこから僕ができることは何だろうというような、旅に出たんじゃないかな

  ———そう、コメントした太一くん。

 

「僕の中の錦戸くんというのは、ずっと同じグループで8年ぐらい一緒にやらせてもらっていて、僕にとって一番厳しくて一番尊敬できるお兄ちゃんみたいな人だったんです。何というか、バラバラになっても何となく気になるような存在ではあって。

 当時の印象で、それから錦戸くんがどういう思いで過ごしていたかは知らないけど、やっぱり剥き出しの人だったんです。感情を剥き出しだし、自分に絶対に嘘をつかない人だったなと。無理して自分のやりたくないことをやらない。できないということがあって、それでもグループのためだったり、15周年でファンのためだったりとか、バランスを取りながらすばるくんの分も背負ってやっていた部分もあって、どうしても無理が来てしまって、無理だったのかな

 ———2003年から2011年までの8年間、一緒にNEWSというグループを作ってきたメンバーを慮ってくれた加藤さん。例え、“ジャニーズ”という肩書きは外れても。こんなにも温かい言葉で、その「旅立ち」を見守ってくれる人たちがいること。その事実が堪らなく嬉しかったです。本当に、ありがとうございました。

 

 

 

 今、錦戸さんに伝えたい言葉は山のようにあるけれど。

 今は、最大級の「ありがとう」と、心の底からの「お疲れ様」を言いたいです。

 

 

 

 ジャニーズ事務所所属のアイドル、“関ジャニ∞錦戸亮”として。数え切れないくらいの夢を見せてくれたこと。世界中に溢れている「ありがとう」をかき集めても足りないくらい、感謝の気持ちで一杯です。本当に、本当に、ありがとうございました。

 

 

 「5大ドームツアーを最後にグループから脱退」したということは、どんなに足掻こうともがこうと、もう二度と“関ジャニ∞錦戸亮”には会えない、ということ。彼(彼ら)の中では『十五祭』千秋楽を最後に“6人の関ジャニ∞”は終わっていて、そうなることが分かっていた上で走り切ってくれたことには、頭が上がらないけれど。それでも、それでも。いつも「ありがとう」を貰ってばかりで、何もお返しできていない。「応援していただいた皆様には感謝の気持ちで一杯です」という言葉を残して去っていくのなら、せめてその気持ちに応えてあげたかった。ずるい、ずるすぎるよ。

 

 

 

 ここまで、思いのままにキーボードを打つ指を見守ってきましたが。文字数にすること、ざっと一万字。 自分の頭で考えていることを、文字として目に見える形で整理していく中で。ある言葉を思い出しました。

 

 『エイトレンジャー2』完成披露試写会会見・舞台挨拶にメンバーには内緒で3人の評論家が極秘潜入し、その模様が放送された『ホンマでっか!?TV』。メンバーの行動を徹底的に観察し、隠された人間性が暴かれていく中、退場が早いことは“天性のアイドル”気質と明かされた錦戸さん。「まだもうちょっと見ていたい」「ああ、もう帰っちゃった……」という気持ちを観客に抱かせるのが上手で、しかも無意識の内にできてしまうのだと。ああ。彼は、錦戸亮は、こういう人だったと。やっと、腑に落ちました。

 

 

 どこまでも素直で真っ直ぐで、嘘がつけない人だから。だからこそ、シンプルで飾り気のない言葉だけで伝えてくれたんだと。

 34歳にして「別れ」というものを経験し過ぎている人だから。グループを離れていく側とグループを離れていくメンバーを見送る側、両方とも経験している彼。どちらの立場も分かるから、敢えて何も言わずに去っていくのだと。

  

 

関ジャニ∞錦戸亮として、過ごせる間は精一杯やりたいと思います。」 

 ———ジャニーズ事務所に入所してから21年間。そして、関ジャニ∞のメンバーとして14年間。最後を迎えるその瞬間まで、間違いなく“天性のアイドル”だったよ。

 

 

 愛想笑いもしない(できない)し、思っていることがそのまま顔や態度に出てしまう。そんな彼は、正統派のアイドルではなかったかもしれないけれど。その不器用なところ、人間らしいところも含めて、彼の魅力で。まさに、愛されるために生まれてきた。なるべくして、アイドルになった人なのだと。自信を持って、言えます。

 

 

 

 次は、いつ会えるのか。確実に言えることは、もう二度と“アイドル・錦戸亮”には会えないということ。どうしたって寂しいけれど、時計の針があの頃まで戻ることはないから。

自分が好きな人を見失わないでください。

 ———その言葉が続く限り。勝手に、好きでいさせてください。

 

 

 

 これからの錦戸さんが歩む道が、光輝くものでありますように。

 錦戸さんの未来が、キラキラ乱反射するくらい明るいものでありますように。

 

 

  

 錦戸亮の未来に幸あれ!!!

*1:2012年4月20日放送 TBS系『A-studio』より

とびきりの笑顔に会いたい/錦戸亮さん (34) に寄せて

 錦戸亮さん、34歳のお誕生日おめでとうございます!!!

 

  タイトルにもありますが、キーボードを打ち込みながら錦戸亮さん (34) 、という数字に愕然としました。錦戸亮さん (34) 。好きになった当初、私はまだランドセルを背負った小学生、錦戸さんは20歳だったので、確実に時は流れているのだと感慨に浸るのと同時に、ヲタ卒するどころかますます深みに嵌っている、呆れるくらいにベタ惚れな現状に驚いてもいるのですが。今日を以って錦戸さんが34歳のお誕生日を迎えてしまったということは、どんなに足掻こうともがこうともう二度と錦戸亮さん (33) の世界には戻れない、ということです。泣いて過ごしても、笑って過ごしても、1日=24時間。一年=365日(+5時間48分45.578秒)。世界共通、平等に時が流れる中で、その「時」に限りがあることなんて、とうに分かりきっていたことなのに。今になって、「永遠」なんてないのだと、その言葉の意味を噛み締めています。

 

 

  錦戸亮さん。33歳、貴方にとってどんな一年になりましたか?

 

 

 「初大河」。錦戸亮さん (33) の一年を語る上で、絶対に外せないのはこのワードではないでしょうか。“NEWS・錦戸亮”でも、“関ジャニ∞錦戸亮”でもない。いわゆる“(ジャニーズ事務所所属の)アイドル・錦戸亮”からではなく、“俳優・錦戸亮”がきっかけでファンになったことが影響しているのか、やっぱり“俳優・錦戸亮”には特別な思い入れがあって。

 いつか、いつか。日本人なら誰もが知る、老若男女問わず幅広い世代から愛されている大河ドラマ。俳優なら誰もが憧れる、“本物”が集まる場所。そんな大河ドラマの世界観の中で生きる“俳優・錦戸亮”を見たい。ファンになった当初から、いつかは叶えてほしいことの一つではありましたが、ワイドショーやネットニュースが大河ドラマ新キャスト発表会見の話題で持ち切りになる中、がっくりと肩を落とすのが常だったので、Yahoo!ニュースのトップに躍る「錦戸亮 初大河」という見出しを目にしても、全く現実味がなくって。夕方のワイドショー、錚々たる出演者陣の最後に檀上に上がり、会見に臨む錦戸さんを目にするまで、これは夢なのか現実なのか、その境目をひたすら行き来していたような気がします。まさか、こんなにも早く「その時」が訪れるだなんて、思ってもみなかったのです。

 

 

 新キャスト発表会見、黒スーツでビシッと決め、精悍な顔つきで語った「僕自身がこの大河ドラマの中できっちりと役割を果たしていけるように、精一杯頑張っていきたい」という意気込みを体現するかのように、大河ドラマ西郷どん』の世界観の中で、“西郷従道(信吾)”を生きた錦戸さん。大河ドラマの舞台・鹿児島県の大自然をバックにした、壮大なオープニング映像。そこに映し出される“西郷従道 錦戸亮”の名前を目にする度、熱いものが込み上げてくるのを感じていました。

 

「僕、ジャニーズのオーディションを受けて今年で20年くらい経つんですけど。20年やって、やっと、こういう本格派の時代劇に出られる。20年かかったんだなと思いました」   

 

 大河ドラマ初出演の話を聞いた時の気持ちを尋ねられ、そう感慨深げに振り返った錦戸さん。錦戸亮が歩んだ20年。決してキラキラと華やかなだけでない世界の中で、やりきれない思いを抱えて一人でもがき苦しんだり。いつの間にか増えていた傷も隠して、人知れずそっと涙を零したこともあったでしょう。けれど、「手探りやったけど、必死だった」「東京もう住んでもうたから、絶対やっていかなあかん」「中途半端に(大阪に)帰られへん」*1と覚悟を決めて、ただひたすらに走り続けた20年。この20年を端的に表すことなんて到底出来そうにありませんが、錦戸さんがその足で確かに歩いてきた足跡が残って、この大仕事(=大河ドラマ)に繋がったのだと思うと、それだけで胸が詰まる思いがしました。必死に切り拓いてきた、選んできたルートは間違っていなかったんだって。

 

 

 1963年から55年間続く歴史のあるドラマシリーズであり、NHKの看板・目玉となる番組の一つである大河ドラマ。「(大河ドラマは)どんって構えてる感じ。次元が違いすぎて緊張しようがない」という言葉の裏には、きっと相当なプレッシャーもあったのだろうと思います。体力的にも精神的にも辛い場面も多かっただろうと思いますが、決してそんな様子を感じさせずに、西郷従道としてこの約半年間を生きたこと。この経験は、今後の錦戸さんにとって間違いなく糧になるものだと思います。そのくらい、錦戸さんにとって大きな分岐点=“ターニングポイント”になったであろう、この『西郷どん』。

 

 

 

 33歳最後、34歳を目前にして語った、

あいつだからって思われる僕になれるといいな。もちろんいい意味でね。」 

  ———という言葉。数年前の彼だったら、決して口にしなかったであろう将来やりたいことや目標が聞けただけでも十分だったのに。大河ドラマ“初”出演からの、月9“初”主演。錦戸さんのファンになって今年で14年目を迎えようとしていますが、まだ「はじめて」があるのだと思ったら、びっくりするくらいわくわくしました。

 

 

 解禁された特報映像だけでも、すでに「面白そう!」と口を衝いてしまうほど。

「映像化にあたり、真野役のキャスティングで真っ先に頭に浮かんだのが錦戸さんでした。容姿端麗だけではない、男の色気とお芝居でみせる奥深い表情をお持ちの錦戸さんなら、正義感とミステリアスさの中にも哀愁や憂いを持った主人公・真野礼二にして頂けると思いました。個人的にいつかご一緒してみたいと思っていた俳優さんだったので、今から撮影が楽しみです。」 

 プロデューサー・草ケ谷さんからのコメントも嬉しくて。一般の方だけでなく、一緒にお仕事をしている業界の方から、こういった評価をいただけること。まさに、「あいつだからって思われる僕」になれた、錦戸さんだから(演じてほしい)と思われた、ということで。この『トレース~科捜研の男~』が、「主演でなんか一個欲しい」という錦戸さんにとっての代表作になりますように、と願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とびきりの笑顔に会いたい

 関ジャニ∞ファンクラブ会員向けに公開された錦戸亮Myバースデーメッセージ動画。その中でもちらっと語られていたことですが、33歳の錦戸さんは「色々あった」、いやありすぎた。特に今年後半、常に「頑張らなな」と自分自身を奮い立たせ、「死ぬ程頑張る」貴方を、数えきれない程見てきました。

 

 

「錦戸くんがすごいのは、絶対音感じゃないけど、相対音感というか、そういうものを持っている点」*2

  ———2008年秋に放送していたドラマ『流星の絆』で共演した、二宮和也さんの言葉。映画『羊の木』で主演を務めてからの、NHK大河ドラマ西郷どん』での主人公:西郷隆盛の弟・従道(助演)、そして、再び月9『トレース~科捜研の男~』で主演。相手に合わせる受けの芝居も、主演として一人で走ることもできる。誰もが「欲しい」と思う、いわば「求められる」俳優になるために。「NEWSと関ジャニ∞というグループの看板を外して、唯一一人で勝負できる」と語った場所で、たった一人で戦う貴方を見ながら、自分のお芝居を通じて、関ジャニ∞という名前を知ってほしい。ただの面白い大阪のお兄ちゃんだけじゃない、違う一面もあるんだって気づいてほしい。痛いくらいに、そんな思いを感じていました。

 

 

 ジョンとポールまではいかないけれどずっと2人で歌ってきた。事務所に入所したてで右も左も分からない13歳の自分を可愛がり、道標を示してくれた先輩・すばるくんのジャニーズ事務所年内退所と関ジャニ∞からの脱退。グループ内で唯一、同じメインボーカルという立場にあった2人。理由は違えど、またメンバー一人がグループから離れてしまうという現実。寂しいも悲しいも全部仕舞い込んで、それでも「全員しばいたる」と皆を奮い立たせるような、前向きな言葉をくれた。笑顔を見せてくれた。“7人の関ジャニ∞”最後の夜、『LIFE~目の前の向こうへ~』。序盤・すばるくんとのパート。「まだまだ終わらないから」を歌い上げた後、今まで張っていた糸がプツンと切れたかのように、堰を切って泣き出したのが最後。6人の新体制で臨んだツアー『GR8EST』公演、あの泣き顔の錦戸さんはどこにもいなくて。

 

 「これからの関ジャニ∞は、僕が引っ張っていく

 ———という言葉の通り、強く導いてくれた、半端なく逞しくなった彼がいました。 中には錦戸さんから「誰にも彼の代わりなんてできないでしょうからね。ていうのは僕はすごく思ってたから『ごめん、俺に歌わせて』って言いました」「誰かが代わりに歌うぐらいやったら俺がそのまま歌う」と言った曲もあったそうで。今まですばるくんが歌っていたパートを引き継ぐ、ということ。言葉にすれば簡単ですが、そこには並みならぬ思いとプレッシャーがあったはずで。改めて、彼の“覚悟”を感じざるを得ませんでした。

 

 

 そして、唯一の“同級生”であり、“幼馴染”のような存在の「しょうちゃん」の病気。「本気で独りになったとき死ぬ程弱い自分に気付いた」。そう、病室のベッドの上で歌詞を書いたという安田さん。“良性”の脳腫瘍であったとはいえ、初めて病気のことを知った時の心情は、本人にしか計り知れない辛さがあったと思います。そして、そんな安田さんを支えるメンバーも。初めて病気を告げられた時の衝撃。不確定な将来に対する不安。「自分は何もしてあげられない」という無力感。しかも、安田さんが腫瘍の摘出手術を受けたのは昨年2月、公表されたのは今年の7月なので、およそ一年半もの間、事実を知らなかったことになります。その空白の一年半、彼らがどのような気持ちで過ごしてきたかなんて、私たちが知る由もないけれど。グループ内で唯一、同期で同い年の2人。『GR8EST』名古屋公演最終日、名古屋3公演を無事に終えるという第一課題を達成した時。「ヤス、ホンマに良かったなぁ……」と、ふっと錦戸さんから漏れた声。その言葉が全てだと、本当に思いました。

 

 

 

 思い返しただけでも、33歳の錦戸さんにこれだけの出来事があったので、34歳の一年はどうか心穏やかに過ごせる日々が続きますように、と願わずにはいられなくて。

 

 錦戸さんの笑顔が好きです。錦戸さんのことが好きだから、いつだって幸せであってほしいし、笑っていてほしい。できることならば、笑っている顔を見せてほしい。今までどれだけその笑顔に救われてきたか、両手ではきっと足りそうにないほど。「笑顔は、最高のファンデーション」。アイドルとしては100点満点の回答。今となっては「うわ…めっちゃ恥ずかしい……」とか言いそうだけれど、今でも私の心の支えになっています。

 

 

    33歳、おかげさまでとっても楽しかったです。錦戸亮(32)の世界もとっても魅力的だったけれど、錦戸亮(33)の世界は一層輝きに満ちていて。キラキラとして眩しかった。けれど、錦戸亮(34)の未来は錦戸亮(33)の世界より素晴らしいものだって、胸を張って言えます。

 

 

 今までもこれからもいつまでも、隣にいてください。

 今日という日が、錦戸さんにとって素敵な一日になりますように。

 

 

 

 錦戸亮さん(34)の未来に幸あれ!!!

  この先歩む道に、聖なる光が射しますように!!!    

*1:2012年4月15日放送 『A-studio』

*2:日経エンタテイメント』 2009年1月号

「門出の日」に思うこと/“7人の関ジャニ∞”へ、思いを綴る。

 2018年7月8日。

 その日をもって、“関ジャニ∞渋谷すばる”として最後のテレビ出演は終了し、それと同時に、“7人の関ジャニ∞”は終わりを告げました。

 

 

 

 

 

 いつか、いつかこの日が来ることは、心のどこかで覚悟をしていたつもりでした。けれど、どうしたって寂しいし、辛くなるのは分かっていたから。傷つくことを恐れて必死に現実から目を背け、見ないふり、気づかないふりをして4月15日からの約3ヶ月間を過ごしてきました。特にここ数日のレギュラーを含むテレビ番組への出演ラッシュ、表紙に“永久保存版!”“関ジャニ∞渋谷すばるラスト!”という文字が躍るTV雑誌を見ても、これが本当に最後だなんて、どうしても思えなくて。

 

 

 これで、本当に本当に本当に、“関ジャニ∞渋谷すばる”は見納めなの? 

 これから先、メンバーカラーである赤色のマイクコードを握り締め、フロントに立って誇らしく高く突き抜けるような歌声を響かせる貴方はいないの?

 私たちファンの愛称である“eighter”。その名付け親である貴方がいなくなったら、誰が私たちの名前を叫んでくれるの?

 初主演映画『味園ユニバース』を引っ提げて向かったオランダ。異国の地で、白無地に大きく関ジャニ∞と書かれたTシャツを身に纏い「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます!」と堂々と宣言した、あの言葉は嘘だったの?

 「俺には友達が6人いる」。それを聞いた横山さんが多いやん、と突っ込んだら「…お前ら(=関ジャニ∞)のことや」と返したという貴方。そんな貴方が、大切な“6人の友達”、誇りであるといった居場所=関ジャニ∞というグループを離れて、たった一人で旅立っていくの?

 

 

 何で?どうして?

 

 

 いくら考えたって、決して正解になど辿り着けないことはとうに分かりきっていることなのに。けれど、どうしても考えずにはいられなくて。答えのない問題に翻弄され続けた、そんな約3ヶ月間だったように思います。

 

  メンバー全員が作詞・作曲を手掛けた、『元気が出るSONG』。その曲の一節を借りるならば、この時間が永遠に続けなんて願わないから、せめてあと少し。もう少しだけ、と思っていたのに。そんな僅かな抵抗でさえも、許してはくれませんでした。

 

 

 ついに、ついに訪れてしまった、別れの瞬間。“7人の関ジャニ∞”、最後の夜。

 

 

 番組開始8分前。ほんの少しだけ最終リハーサルをする7人が映し出されたのですが、その様子を見ただけで、たちまち早くなる胸の鼓動。浅くなる呼吸。カラッカラに渇く喉。午後11時10分、番組開始時間を迎えるまでの8分間。今しかない、今この感情を認めておこうと、ひとまずTwitterを立ち上げてはみたものの、キーボードを打つ指まで震えてくる始末。正直、生きた心地がしませんでした。

 

 

 2015年5月10日の番組開始以来、初の生放送が行われた関ジャム。“7人の関ジャニ∞”を締めくくる、最後の夜。そんな生放送は、①メンバーが選ぶ“忘れられないセッション”、②東京スカパラダイスオーケストラと生セッション、③関ジャニ∞最後に届けたい楽曲を生披露、の3本立てで送られました。

 

 

 ①メンバーが選ぶ“忘れられないセッション”は、3年前の番組開始以来、約150回ものセッションを行ってきた中から、メンバーそれぞれがチョイスし、その映像とともに振り返っていくというものでした。Purfumeの『ワンルーム・ディスコ』でのすばるくんのダンス、しかも女性の振り付けという貴重な組み合わせ。「関ジャニ∞の曲でもやったことないのに初めて家で1人でダンスの練習をした」というすばるくんが、「オンエアを観て、自分じゃないみたいで変だけど面白かった」と振り返るように、目尻に皺を寄せて、手を叩いてアッハッハと笑う姿を見て、ほっとしました。そして、セッションには参加していないのにも関わらずそれをセレクトし、「自分の家帰って自分のセッションより、あれのが見たもん!」と力説する村上さん、思わず「かわいい…」と呟いた自他共に認める“渋谷ファン”である丸山さんも含めて、最後の最後まで、私たちが知っている関ジャニ∞のままで。途中、番組で共演した大物アーティスト2名からのコメント*1が流れ、思わず目を潤ませる場面もありましたが、終始楽しそうに、笑い合っている7人がいて。ああ。これが“関ジャニ∞”なんだって。何も変わらない、私たちの好きな“関ジャニ∞”だって、改めて気づかされました。

 

  ②東京スカパラダイスオーケストラと生セッションでは、ベストアルバムで2組がコラボした『無責任ヒーロー』を披露。2008年にリリース、関ジャニ∞の人気を一気に押し上げたこの曲が、発売から10年後の2018年夏、こんな進化を遂げることになるだなんて、誰が想像できたでしょうか。こんな豪華なセッションが実現できたことも、偏にこの『関ジャム』という音楽番組で、日本を代表するような大御所のアーティストから若手のアーティストまでの繋がりができたことが一番の要因ではないのか、と。関ジャニ∞に老若男女、ジャンル問わず幅広い“繋がり”をもたらし、すばるくんにいつまでもいたい居場所=関ジャニ∞から旅立つ“”をもたらすことになった、音楽。まさに「音」を「楽」しむ、という文字を体現したかのように、弾けんばかりの笑顔で、歌い楽器を演奏する姿。最後の最後まで、「音」を「楽」しむ7人がいたことが、ただただ嬉しかったです。そして、東京スカパラダイスオーケストラの皆さま。お忙しいところ、しかも夜分遅くの生放送。最後の“7人の関ジャニ∞”の夜を締めくくるに相応しい、素晴らしいセッションで花を添えてくださり、ありがとうございました。衣装であるグレーのモッズスーツに、さり気なく担当楽器(または隣り合っているメンバー)のメンバーカラーを取り入れてくださっていたことにも、深い愛情を感じました。本当に、ありがとうございました。

 

 そして、③関ジャニ∞最後に届けたい楽曲を生披露。6月27日の『テレ東音楽祭2018』を皮切りに、明るく元気なポップスから、しっとりと聴かせるバラード、そして熱く泥臭いロックまで。ジャンル問わず、様々な曲を披露してきた中で、“7人の関ジャニ∞”が最後に届けたい楽曲って何だろう?(私の中で)大穴だった『Heavenly Psycho』はすでに『関ジャニ∞クロニクル』で歌ってしまったし、それ以外なら、『BJ』?

 

 

 ———様々な考えが頭を過りましたが、彼らが最後に届けてくれたのは、これ以上ない、最高のセットリストでした。

 

 

 『大阪ロマネスク』『LIFE~目の前の向こうへ~』。その2曲に共通しているのは、どちらも渋谷すばるの歌い出しから始まる曲である、ということ。すばるくんの、あの高く突き抜けるような歌声なしには始まらない、そんな2曲。そんな2曲を、この“7人の関ジャニ∞”の最後に選んだことに、どうしても7人のこれからへの強い覚悟を感じずにはいられなくて。とんでもないものを放り込んでくれたな、というのが正直なところです。正真正銘の最後にこんなものを見せつけられたのでは、渋谷すばるに、6人の関ジャニ∞に。これからも全力で付いていく以外の選択肢なんてないのでは、と思わず頭を抱えてしまうほどに。

 

 

 

  横山さん。会見の日、村上さんがすばるくんとの思い出を聞かれ「死ぬ訳じゃないですから!」とくだけた雰囲気になり、他のメンバーから笑いが漏れた時も、ただ一人だけ口を一文字に結び、「正直、今日という日が本当に来ないでほしいという思いでいっぱいだった」と涙ながらに語った貴方。儚くて脆くて、今にも崩れ落ちてしまいそうだったあの日の面影はどこにもなくて、いつになく気丈に振る舞う貴方がいて。『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』の宣伝のため出演した、翌朝のめざましテレビ。連日の疲れもあるのか、その目は心なしか腫れているように見えました。生放送中には決して見せなかった涙。人一倍情に弱くて涙脆い貴方が、よく耐えたなと。何よりも「すばるを送り出さないといけないという決意が大きい」と、大きな決断をした“親友”の背中を押してくれた。貴方が、関ジャニ∞の“長男”で良かった。ありがとう、横山さん。早朝からの番宣ラッシュ、お疲れ様でした。どうか、どうか、ゆっくり休めていますように。

 

 村上さん。会見でも、今後のテレビ出演やライブについてなど代表して話す役割を請け負い、平静に普段通りの姿を貫こうとして。そして、生放送でも自分に与えられたMCという役割を全うして。地元も近くで同い年、お互いを「すばる」「(地元の友人しか呼ばないあだ名)むっちゃん」と呼び合う仲である大切な“幼馴染”と袂を分かつことになる人生なんて、想像すらしていなかったでしょう。「初めは『何でや』と『嫌や』しかなかった」、という言葉からも分かるように、寂しくない、辛くないはずなんてないのに。「(村上さんは)あんまりしっかりしてなかった。いつも、すばるくんの後ろをひょこひょこ付いていっている感じ」*2と、錦戸さんがJr.時代を振り返るように、横山さん・すばるさんのように対して面白いことも言えず、ただ2人の発言をなぞることしかできなかった。「ヨコには演技の仕事があるし、すばるには歌があった。俺には、何もなかった」と足掻いていた貴方が、ようやく見つけたMCというポジション。やっと収まる場所を見つけた貴方に、昔の“泣き虫ヒナちゃん”の片鱗はどこにもなくて。貴方が、すばるくんの“幼馴染”で良かった。ありがとう、村上さん。

 

 丸山さん。あの状況の中でも、「eighterの中にも、ファンの方の中にもどんな風にこういう事実を受け止めるかというのは、僕たちの手の届かないところで色んな風に想像したり考えたりするのは当然だと思う」と突然の状況に困惑しているであろう私たちファンを思い遣る優しさをくれた貴方。そして、生放送でもジャンクションから不思議なテンションを纏いながらも、ファンを安心させるかのように、何度もカメラに笑顔を向けてくれた。忘れられないセッションに、和田アキ子さんの『古い日記』を選曲した貴方。その理由が、「映画で、すばるがこの曲を歌うシーンにシビれてしかもそれをアッコさんご本人と歌う。ボクからすると不思議な光景で興奮した。」なのだから。照れ隠しのように笑う貴方を見て、ただの渋谷すばるのファンやん、と微笑ましくなって。貴方が、関ジャニ∞の“ムードメーカー”で良かった。ありがとう、丸山さん。例え進む道は違っても、すばるくんのソロコンの楽屋に(当の本人に挨拶すらもせず)真っ赤な薔薇を一輪置いて帰っていくような、そんな貴方でいてください。

 

 安田さん。ほんの数日前まで、貴方の背負っていた荷物が、こんなにも重くて苦しいものだったなんて知りませんでした。しかも、去年の2月上旬からだというのだから。それまで心も身体も辛い中、そんな素振りを微塵も感じさせずレギュラー番組の収録やコンサート、舞台に全力を尽くしていたのだと思うと、言葉になりません。“他人の幸せは自分の幸せ”と嘘偽りなく言い切ってしまう、優しすぎる貴方だから。きっとドクターストップがかかるギリギリまで、まだ痛む身体を押してまで、大切なメンバーの脱退会見に出席しようとしてくれたのだと、容易に想像がついて。今回だって、全然いつも通りではない中、今できるベストなパフォーマンスを見せてくれた。「関ジャニ∞を離れても、渋谷の音楽に聞き惚れていけば、という想いを込めて渋谷を送り出したい」、といった言葉にもあった通り、終始愛おしげに、温かい眼差しですばるくんを見つめる貴方がいて。貴方が、すばるくんの“一ファン”でいてくれて良かった。ありがとう、安田さん。“ヤスダ100%”を見せてくれるその日まで、勝手に好きでいさせてください。

 

 大倉さん。あの会見に出席することも「最初、嫌だった」と、(後に自らのラジオ番組でも反省している、と発言していましたが)終始不貞腐れた顔をし、「こういう場に立つのであれば、こういうところでどんな発言をするのか横で聞いていたいなと思った」と感情を爆発させていた貴方。きっと、すばるくんの後ろでドラムを叩くことが好きだったから。彼の独特な笑いのセンスが好きだったから。仲間に対しての優しさが好きだったから。夢に対して語る熱い言葉が好きだったから。「一緒に7人で夢を追いかけていきたかった」けれど、それが叶わない未来が悔しかったからなんだって。けれど、「勝手な決断をしたすばるくんのことを、嫌いになれなかった」から。“関ジャニ∞7人最後の演奏”に選んだ、『LIFE~目の前の向こうへ~』。大サビ、“あの日交わした約束をずっと覚えているから 涙堪えて”。前で歌うすばるくんに、真っ直ぐに手を伸ばし、力いっぱいドラムを叩き、その背中を押ししてくれた。最後の最後まで、すばるくんが好きだと言った“大倉のドラム”を全うし、とびっきりの笑顔で送り出してくれた。「すばるくん、頑張って」。番組終了直前、姿こそ見えなかったけれど、そう小さく呟いた声。しっかりと、届いていたよ。貴方が、どこまでも頼もしい“関ジャニ∞の最年少”で良かった。ありがとう、大倉さん。

 

 

 

 そして、すばるくん。「この先は今までの環境ではなく、全て自分の責任下で、今後の人生を音楽で全うするべく、海外で音楽を学び、更に自分の音楽を追求していきたい」。あの日、あの真っ直ぐな目で、じっと前を見据えて、そう決意を口にした貴方。会見で、背中を押そうと思った具体的なエピソードについて聞かれた時。「話というより、目ですね。」と村上さんが語った、あの曇り一つない目。その目を見た時に、この人がこれから背負っていくであろうものは決して生半可なものではないと。一時的な感情ではなく、中途半端な覚悟や中途半端な想いでもない。これだけ腹を括っているのだ、ということが伝わってくるほど。彼らが共に過ごした約21年間には、その年数も濃厚さも遠く及びませんが、それでも、それでも。じんと心に沁みました。

 4月15日からの約3ヶ月間。“6人の関ジャニ∞”として初めての5大ドームツアー『KANJANI'S ENTERTAINMENT GR8EST』。その初日である7月15日、札幌ドーム公演を迎えるまでの、約3ヶ月間。その時間を、貴方がどのような気持ちで過ごしてきたかなんて、私たちが知る由もないけれど。

 

 

「あのー…この番組始まって約3年間、今日まで本当に毎回、緊張感と達成感と、貴重な経験・時間を過ごさせてもらいました。本当に感謝してます。ありがとうございます。あのー…これからもこの番組続いていくんで、変わらずに、『関ジャム』楽しんでいただきたいと思います。えー…ジャニーズ事務所のタレントとして21年間、そして関ジャニ∞というグループのメンバーとして14年間、今日まで活動させていただけたことは、自分の人生にとって何よりの誇りです。本当にありがとうございます。今この最後の瞬間も、ここにいる6人の仲間たちにすごく支えられてます。本当に感謝してます、ありがとう。えー…これからの、“6人の関ジャニ∞”に是非、期待してください。では、“7人の関ジャニ∞”として最後の曲、聞いてください。『LIFE~目の前の向こうへ~』。」  

 

 ———時折言葉を詰まらせ、目を潤ませながらも。あの真っ直ぐな目で、じっと前を見据えて、そう決意を口にした貴方を見て。ああ。彼は、渋谷すばるは、こういう人だった、と。飾り気のないシンプルな言葉の中に込められた、真っ直ぐで熱い想い。その想い、しっかりと受け止めました。そして、「eighter!」と力いっぱい叫んだ声も。こんなに格好良く、ジャニーズ事務所から“中退”していったアイドルを、私は渋谷すばるの他に知りません。去り際まで余すところなく格好良いだなんて、ずるい。ずるすぎるよ。

 

 

 

 渋谷すばる。そして、“6人の関ジャニ∞”。彼らはきっと、どこまでだって行けると思う。出会いは偶然、別れは必然。約14年前、関西出身のメンバー8人で関ジャニ∞が結成されたことが偶然だとするならば。何も変わらない気持ちを7つ根っこで引っ張り合っている、そう簡単には切れない絆で結ばれている彼らならば。今、別れることが必然だとしても、またいつか。

 

 

 

 ありがとう、“関ジャニ∞渋谷すばる”!

 ありがとう、“7人の関ジャニ∞”!

 この先歩む道に、聖なる光が射しますように!!!

 

 

 

 

 

 錦戸亮と「永遠」について考える。

 錦戸亮と「永遠」について。錦戸亮という人物を語る上で、「永遠」という言葉なしには語れないというほど、頻出・必須のこのワード。いつか、いつか、記事にしたい。そう思い始めたのはいつの頃だったか、すっかり忘れてしまったのだけれど。錦戸さんにとっても、一錦戸担である私にとっても永遠の議題であった、「永遠」。

 ———そう、永遠の議題であったはずなのに。2018年7月12日、『関ジャニ戦隊∞レンジャー』。その「永遠」という言葉を廻って、錦戸さんに起こった変化に衝撃を受け、勢いそのままに、このブログを綴っています。

 

 

 正直世の中に「永遠」なんてない。 

 

 

 誰よりも「永遠」という言葉を信じ、「永遠」という言葉に縋っていたはずの錦戸さんが、そんなことを口にしたのだから、驚きました。どういった心境の変化なのだろう。

 

 

 “事務所に入所したてで右も左もわからない13才の僕を、可愛がり道標を示してくれた”先輩である、すばるくん。しかも、“関ジャニ∞でもずっと2人で歌ってきた”、同じメインボーカルを務める2人。理由は違えど、またメンバー一人がグループから離れてしまうという現実。寂しくない、辛くないはずなんてないのに。それでも、精一杯「寂しい」という感情に蓋をして、これからの道を一人で切り拓く決心をした仲間の背中を押してくれた。「門出の日」なんて、なかなか言える言葉じゃない。改めて、強い人だと思い知らされたのですが。

 

 

 けれど、“7人の関ジャニ∞”、最後の夜。“7人の関ジャニ∞”、最後の演奏。感情を露わにして、一筋の涙を流した錦戸さんを見て。やっぱり、この人は「寂しかった」んだな、と。

 

 

 思えば、 7月6日の『MUSIC STATION 2時間SP』を皮切りとした、3夜連続の音楽番組出演。その日を前日に控えた『関ジャニ戦隊∞レンジャー』から、いつもと様子が違っていました。

  

「でも正直僕は次のステージしか見据えてないです。」 

 「見ている皆さんが楽しめるかどうかはわからんけど、うん。越えなきゃ。色んな壁を 峠を 皆さんの期待を よっしゃ。」 

 

 すばるくんの脱退に加え、安田さんの体調への懸念もあり、ファンやグループ全体が揺れていたこのタイミングで、「全員しばいたる」と皆を奮い立たせるような、前向きな言葉をくれたことは嬉しかったのですが。それと同時に、また一人で抱え込んではいないかと。いくら無理をするな、と言ったところで、絶対に無理をしないはずがない錦戸さんのことなので、どこかで折れてしまわないか、勝手に心配をしていたのですが。

 

 

 “7人の関ジャニ∞”、最後を締めくくった『関ジャム』。オープニングから、いつにも増してよく喋るし、メンバーの会話にも積極的に入っていく。まるで、“関ジャニ∞渋谷すばる”、そして“7人の関ジャニ∞”への別れを惜しむかのように。

 

 

「ここ(関ジャム)でやってきたことってすごい財産になっていると思うんですよね。僕らの中でも、もちろんすばるくんの中でもなってるでしょうし。まあ、それをこれから形にしていくのは僕らであり、すばるくんであるのかなっていうのはほんまに思うんでね。これから先関ジャニ∞もそうですし、渋谷すばるも、関ジャムも、よろしくお願いしますという気持ちですかね。うん。」 

 

 なんて、自分自身に言い聞かせているようにしか、どうしても思えなくて。その辺りから、自分が感じていた違和感の正体がはっきりとし始めました。

 

 

 “7人の関ジャニ∞”が、最後に届けたい楽曲。その一曲目の、『大阪ロマネスク』。メロディーが流れ、自分ではない他のメンバーのパート。しきりに上を見上げたり、浅い呼吸を繰り返す。その様子から、必死に涙を堪えようとしているのだというのは、容易に想像がついて。大サビ・錦戸さんのソロパート、「今日も誰かがめぐり合う遥か遥か西の街 恋をするなら御堂筋から始まるのさ 雅なる物語」。その状況で、果たして歌い切れるのかと心配になりましたが、しっかりと歌い切った錦戸さんを見て、ほっとしました。

 

 

 けれど、二曲目。本当に本当に本当に最後の、“7人の関ジャニ∞”、最後の演奏。『LIFE~目の前の向こうへ~』。序盤・すばるくんとのパート、「まだまだ終わらないから」を歌い上げた後。聞こえてくるはずの、錦戸さんの歌声がない。マイクからも一歩遠ざかり、ギターを掻き鳴らす姿にも力がない。何かがおかしい。思わずあっ、と声が出た時にはすでに、錦戸さんの目から涙が伝っていました。お芝居ではない、錦戸さんの「悲しい」「辛い」という気持ちから流す涙を、今まで見たことがなかったので、余計に胸を締め付けられて。今回のことで一番辛いのは、誰よりも関ジャニ∞のメンバー7人なのだから。そう思って、必死に涙を堪えていたけれど。一筋の涙を拭おうともせず、顔を歪ませて泣く錦戸さんを見てしまったら。私も、どうしたって無理でした。

 

 

  あの日、すばるくんの“旅立ち”を、「門出の日」という前向きな言葉で表現した錦戸さん。会見でも、『関ジャニ戦隊∞レンジャー』でも。そして、『関ジャム』でも。じっと前を見据えて、力強い言葉で、折れないように必死に自分を奮い立たせていたけれど、本当は「寂しかった」んだと。そう言葉にし、今まで張っていた糸がプツンと切れたかのように、堰を切って泣き出した錦戸さんを見て、安心したのも事実です。こんな、一錦戸担でごめんなさい。決して、そんな人ではないとは分かっているけれど、湧きだした「寂しい」という感情に蓋をすることなく、この日を迎えることができて良かったです。

 

 

 錦戸さんが「永遠」なんてない、と言い切ってしまったので、錦戸さんが「永遠」を信じなくなってしまった世界に生きているのだ、ということを思い知らされた、この2018年夏。

 

 

「6人の関ジャニ∞もいつまで続くかなんてわからへん。」 

関ジャニ∞錦戸亮として、過ごせる間は精一杯やりたいと思います。」 

 

 ———その言葉がある限り、私も精一杯ついていこうと思います。これからも、今までも、いつまでも。好きでいさせてください。

 

 錦戸亮の未来に幸あれ!!!

*1:X JAPANYOSHIKIさん、さだまさしさん。「渋谷さん、新しいステージでご活躍される姿を楽しみにしています。そして、新たな形でスタートする関ジャニ∞、期待しています。頑張ってください!!」(X JAPANYOSHIKIさん)、「これからいわゆるアイドルグループから抜けて、ソリストとして頑張っていこうという気持ちになられたというのは分からないではない。グループから離れて一人になるとこれまた大変なので、これからの努力が本当に大変だろうと思うけれど、同じ音楽仲間として是非ともその夢が大きく実るように祈ってますし応援してます。また、他のメンバーの皆さんは、相変わらずいつものように明るく楽しく仲良くやっていくんだろうなと思うけれど、頑張って違う世界を作っていただけるといいなと思います。渋谷くん、頑張ってください。」(さだまさしさん)。

*2:2009年10月18日放送 『ザ少年倶楽部プレミアム

渋谷すばるさんへ。

 

    ーーーどうか夢であってほしい。夢であってくれ。

    そう強く願っていたけれど、その思いが届くことはありませんでした。

 

 

 

    今からちょうど一週間前。4月15日午前9時30分。

    関ジャニ∞のファンクラブ会員宛に、“関ジャニ∞のメンバーからの大切なお知らせ”と銘打ったメールが届きました。そして今日の11時、添付してあるURLからログインし、メッセージを確認してほしい、とも。未だかつて、このような“大切なお知らせ”をする時に、所属事務所(=ジャニーズ事務所)がこんなにも用意周到であったことがあったであろうか。私のオタク人生十数年余りで培った経験上、そういった“大切なお知らせ”が良い知らせであったことは一度もなかったため、メールを受け取った瞬間、胸の鼓動がたちまち早くなるのを感じました。

 

    以前からメンバーが公言している、そしてメンバーが日本から飛び出していくような2018年の年賀状デザイン、関西国際空港をバックにした最新のアー写からもその存在を匂わせているアジアツアーの開催発表?

    “関ジャニ∞からのお知らせ”ではなく、“関ジャニ∞のメンバーからのお知らせ”とわざわざ表記されているところを見ると、メンバーの誰か一人からの重大発表なのだろうか。そうだとしたら、結婚?

 

    ーーー様々な考えが頭を過ぎりましたが、最終的に思ったのは「誰一人欠けることなく、関ジャニ∞関ジャニ∞のまま、7人であり続けていてほしい」、ということ。ただそれだけでした。関ジャニ∞が、関ジャニ∞のまま7人であり続けてくれるのならば、もう何でもいい。それ以上のことは望まないから、ただ安心させてほしい。後々振り返ってみて、例えば数年後に、「ああ、こんなことあったなぁ」なんて、メンバー全員で笑っていられる出来事であってほしい。

    午前11時を迎えるまでの約1時間30分。今しかない、今この感情を認めておこうと、Twitterを立ち上げてはみたものの、キーボードを打つ指まで震えてくる始末。正直、生きた心地がしませんでした。

 

 

 

    そして、午前11時。その瞬間を迎えたと同時に、添付されていたURLからのアクセスを試みたものの、”アクセスが集中しています”という画面が表示されるのみ。それはそうだ。関ジャニ∞の何十万人といるファンクラブ会員が一斉にそのURLにアクセスしているのだから、繋がらなくて当然だ、と。きっとTwitterを開けば、“関ジャニ∞からの大切なお知らせ”を受け取った誰かが、その話題に触れているであろうことは容易に想像がついたのだけれど。でも、これだけは、こればっかりは他人の目ではなく自分の目で見て確かめたい。そう思い、ただひたすら待ちました。

 

 

    けれど、ようやく辿り着いた先に用意されていたのは、これ以上ない最悪のシナリオでした。

 

 

    先週末に発売された某週刊誌・一部ネット記事で報道がなされた時には、「どうせ嘘でしょう?」「あの関ジャニ∞に限って、ましてやあの渋谷すばるに限ってそんなことはないだろう」と高を括っていたので、当初はあまりの衝撃に言葉も出ず。もし、その一件に関してすばるくんがコメントを出すのであれば「そのような事実はありません」、とあの真っ直ぐな目できっぱりと否定してくれるものだと思っていました。いや、無理にでもそう考えないとやっていけないと、無意識に予防線を張っていたせいかもしれません。

 

 

 

    201∞年、グループ名にちなみ“∞(エイト)イヤー”と銘打ち、デビュー15周年に向けて走り出そうとしていた矢先の出来事。

    5月にベストアルバムを発売、7月からはそのアルバムを引っ提げた5大ドームツアーを回るのに?

    初主演を務めた映画“味園ユニバース”がロッテルダム国際映画祭に正式出典。白無地に大きく関ジャニ∞と書かれたTシャツを身に纏い、異国の地で「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます!」と堂々と宣言してくれた、あの言葉は嘘だったの?

 

「この先は今までの環境ではなく、全て自分の責任下で、今後の人生を音楽で全うするべく、海外で音楽を学び、更に自分の音楽を追求していきたい」

 

    ーーージャニーズ事務所で過ごした15歳からの21年間。人気が関西地区だけでなく全国区へと拡大している、東京でもグループ名だけでなく個人名までもが知れ渡りつつある、この2018年。

    コンスタントにシングル・アルバムも出して、何本ものレギュラー番組・CMも抱えて、日本政府の一大プロジェクトや大阪府の“顔”となる大仕事(=プレミアムフライデーナビゲーター・大阪観光シンボルキャラクター)も任されて。ジャニーズ事務所の中でも、いわば“中堅”と呼ばれる存在になってきたのに。その、今まで築き上げてきたものを全てか殴り捨ててまで、すばるくんが追求していきたい音楽って何だろう?

    それは、関ジャニ∞というグループにいては追い求めることのできない夢なの?

 

 

 

    何で?どうして?

 

 

 

    いくら考えてみても、その答えは出るはずなんてなくて。けれど、じっと前を見据えて、決意を口にする彼を見て。

    ああ。彼は、渋谷すばるは、こういう人だった、と。どこまでも素直で真っ直ぐで、嘘がつけない人だから。だからこそ、中途半端な決断をしなかったんだって。

    誰よりもストレートに愛を届けてくれる人だから。関ジャニ∞が大好きだから、自分一人の勝手な決断で、大切なメンバーに迷惑を掛けたくない。だからこそ、自分から大好きで大切な居場所(=関ジャニ∞)を手離し、もう自分が戻るところはないと、保険が掛けられないようにしたんだって。

    でも、大好きだから、大切だから手離すなんてそんないじらしいこと、目に涙をいっぱい溜めて言わないでほしい。余計に辛くなっちゃうじゃない。そんな悲しそうな顔を見せるのなら、行かないでって、無理にでも引き止めたくなっちゃうじゃない。

    いっそのこと、関ジャニ∞というグループのことも、アイドルという職業のことも嫌いになったから辞めるのであれば、納得がいったのかもしれないけれど。そんなこと、微塵も感じられなかったからこそ。

 

「勝手な決断をしたすばるくんのことを、嫌いになれなかった」

 

    そういう大倉さんの言葉が、全てを代弁してくれている気がしました。グループを離れて海外で音楽を学びたいだなんてそんな勝手なこと、とは思うけれど、関ジャニ∞が大好きだからこその決断なんだって理解できたから、それは送り出すしかないし、私たちに止める権利はないんだって。

 

 

    横山さん。村上さんがすばるくんとの思い出を聞かれ「死ぬ訳じゃないですから!」とくだけた雰囲気になり、他のメンバーから笑いが漏れた時も、ただ一人だけ口を一文字に結び、「正直、今日という日が本当に来ないでほしいという思いでいっぱいだった」と涙ながらに語る貴方を見て。儚くて脆くて、今にも崩れ落ちてしまいそうだった8年前の面影を重ねてしまって、どうしたって胸が苦しくなって。横山さんが泣くのが、一番辛かった。けれど、「メンバー、友達としてはこれからも一緒にいて欲しかった」という思いを抱えながらも、「すばるの思いを男としては尊重してあげたい」と、大きな決断をした“友達”の背中を押してくれた。そして、「前を向いて歩いていく覚悟をした」と力強い言葉をくれた。あのレンジャーも、ね。貴方が、関ジャニ∞の“長男”で良かった。ありがとう、横山さん。

 

    村上さん。会見でも、今後のテレビ出演やライブについてなど代表して話す役割を請け負い、平静に普段通りの姿を貫こうとして。「すばるがいたジャニーズの21年というのは、僕と横山の21年でもある」と積み重ねてきた日々の重さを噛み締めながら、「付き合いの長い僕らからすると、それは尊重する以外の何者でもなかった」。初めは「何でや」と「嫌や」しかなかったけれど、「ここまで腹括ってるんねんなというのは、目を見れば分かった」「目を見れば分かる時間を過ごしてきたというのもある」と、変わらない友情を証明してくれて。最後にメンバー全員での話し合いの場がもたれ、「本当に本当に本当に最後やで。本当に辞めるっていう決断なんやね」と問うた時。理由は違えど、またメンバー一人がグループから離れてしまうという現実。特に、地元も近くで同い年、お互いを「すばる」「(地元の友人しか呼ばないあだ名)むっちゃん」と呼び合う仲である大切な“幼馴染”からの反応を、どんな気持ちで待っていたのだろうと想像すると、それだけで胸が張り裂けそうになるのだけれど。貴方が、すばるくんの“幼馴染”で良かった。ありがとう、村上さん。

 

    丸山さん。あの状況の中でも、「eighterの中にも、ファンの方の中にもどんな風にこういう事実を受け止めるのかというのは、僕たちの手の届かないところで色んな風に想像したり考えたりするのは当然だと思う」と突然の状況に困惑しているであろう私たちファンを思い遣る優しさをくれて。「(すばるくんを)好きすぎて何も言えなかった」「面と向かって話せない分を、夜中に文章で送ったけれど、読み返すのも恥ずかしいくらい好きさが溢れていたので、何を書いたかも思い出したくない。2人だけで共有したい」。そう照れ臭そうに話す貴方を見て、ただの渋谷すばるのファンやん、と微笑ましくなって。一瞬でも、くすっと笑うことができて、笑顔をいっこにこにこ作ってくれた。貴方が、関ジャニ∞の“ムードメーカー”で良かった。ありがとう、丸山さん。

 

    安田さん。3日間も入院が必要な程の怪我を押して、身体も心も辛い中、ドクターストップがかかるギリギリまで今回の会見に出席しようとしてくれて。突然のことに混乱したけれど、「渋谷の性格を知っている以上、これは彼の背中を押すべきなんだろう」「音を楽しむことを常に追求し続けてきた渋谷だからこそ、奏でられる音楽がきっとこの先あると思う」「関ジャニ∞を離れても、渋谷の音楽に聞き惚れていけば、という想いを込めて渋谷を送り出したい」。共に関ジャニ∞の楽曲制作に関わることも多く、関ジャニ∞の音楽面を強く支える2人。やすば。男前とチンパンジー。CCコンビ。すばるとちゃーたが紡ぎ出す旋律をもう聞けないのかと思うと、寂しくて堪らないのだけれど。貴方が、すばるくんの“一ファン”でいてくれて良かった。ありがとう、安田さん。1日でも早く、元気な姿が見られますように。

 

    大倉さん。メンバー全員での話し合いの場で「(すばるくんの決断は)関ジャニ∞にいて叶えられない夢なのかとか、海外でやる意味、それは日本にいて勉強できるんじゃないのとか、疑問に思ったことは全部ぶつけた」「すばるくんが自分の人生っていうことで考えてやった時に、僕たちの人生はそのまま続くわけではなくて、変化するわけで。その上での決断なのかという質問をした時に、『それは申し訳ないけれど、自分の人生を優先させてもらった』というのを聞いて、俺らのことを考えた上での決断なら僕らは何も言うことはない」。また、会見に同席することも最初は「嫌だった」けれど、「やっぱり勝手な決断をしたすばるくんのことを嫌いになれなかった」「こういう場に立つのであれば、こういうところでどんな発言をするのか横で聞いていたいなと思った」、と側でその決意を受け止めてくれた。貴方が、どこまでも頼もしい、関ジャニ∞の“最年少”で良かった。ありがとう、大倉さん。

 

 

 

    こうして想いを文章にすれば、少しは気持ちの整理もできるだろうと思いただキーボードを打つ指を見守ってみましたが、ちっとも気持ちの整理なんてつきませんでした。

    もし願いが叶うならば、渋谷すばる関ジャニ∞というグループを離れる=ジャニーズ事務所を退所するまでの12月31日までに、くだらないことで「しょうもな〜!」って笑い転げて、馬鹿みたいに燥ぐ7人が見たい。

    メインボーカル・渋谷すばるをフロントに据えて、最高に熱く、最強に泥臭い音楽を奏でる7人が見たい。

    一緒におっさん・おばさんになるという夢を見させてくれないならば、この位の我儘、許してください。

 

 

 

    会見で横山さんも話していたけれど、渋谷すばるのいない6人の関ジャニ∞が、全く想像できません。大倉さん不在で迎えた元気が出るLIVE!オーラスの時は、メンバー一人が欠けた状態はあくまでも“一時的”に過ぎず時間に限りがあったから、何とか持ち堪えていたし、納得せざるを得なかったのだけれど。

 

    誰が貴方のいた場所に立つの?

    ドームを突き抜けるかのような伸びやかな声で、愛おしそうに“eighter”と叫ぶ貴方はもう見られないの?

 

    考え出したら止まらないけれど、渋谷すばるが、関ジャニ∞6人が、全力で前を向いて歩き出そうとしているのだから。私も一歩ずつでもいい、がむしゃらに、振り返らずに歩み続けたいと思います。

 

 「この決断が正しかったのか、それとも間違っていたのかは、残った関ジャニのメンバー6人、そしてこれからの渋谷すばる自身で証明していくしかないと思っている」

 

    今はまだ、6人の関ジャニ∞を受け止め切れそうにないけれど。新体制での再スタート、見逃したら絶対に後悔すると思うから。必ず、会いに行きます。

 

 

 

 

 

錦戸亮と別れについて考える。

    今回の発表を受けて、33歳にして“別れ”というものを経験しすぎている、錦戸さんのことを考えずにはいられませんでした。

    「応援しているグループからメンバーが脱退する」という経験は、今回を含めて2回目でした。1回目は、2011年10月7日。山下さんがソロ、錦戸さんが関ジャニ∞に専念するためにNEWSを脱退することが発表された時。そして今回、2018年4月15日。

    前回と大きく違うのは、発表から脱退までに時間の猶予がある、ということ。あの時は、夜の19時30分頃に、(ある日突然Johnny`s webから削除されたNEWSmile、関ジャニ戦隊∞レンジャーでの錦戸さんの意味深な文章などはあったけれど)何の前触れもなく発表がなされて、こちらに別れを惜しむ暇さえ与えてくれず、その翌日、深夜0時を回った瞬間には、NEWSのプロフィール欄から山下さんと錦戸さんの名前が削除されて、「これは夢じゃないんだ」「こんなにも呆気ないものなのか」と思ったのだけれど。今回は、6人での5大ドームツアーがスタートするまで(ジャニーズ事務所所属という肩書きが外れるまで、と考えるならば12月31日まで)と、余裕を持たせてくれている。ある日突然いなくなるのも辛いけれど、期限が定められているのも辛いなと、どちらも経験して初めて分かりました。

 

    改めて、錦戸さんがNEWSを脱退した時の文章を読み返してみたのですが。前回はグループを離れる側、そして今回はグループを離れるメンバーを見送る側と、それぞれ立場は違うのだけれど。どちらも新体制で臨むグループとメンバーを宜しくお願いします、という言葉で結ばれていて。最後まで、自分より歳下で経験の浅いメンバーを支える“お兄ちゃん”であり、「13才の僕を可愛がり、道標を示してくれた先輩の決断を応援する」と背中を押す頼もしい“弟”だったな、と。グループを離れる側もグループを離れるメンバーを見送る側もどちらも経験している錦戸さんだからこそ。理由は違えど、またメンバー一人がグループから離れてしまうという現実。もちろん、残念ではあるのだけれど、これからの道を一人で切り拓く決心をした仲間の背中を押し、敢えて「門出の日」と表現したのではないか、と。ありがとう、錦戸さん。

 

    けれど、どうしてこれだけの別れを経験しているというのに、錦戸さんはジャニーズ事務所でアイドルを続けてくれているのか。決してキラキラと華やかなだけでないこの世界に生きていて、遣り切れない思いを抱えて一人で苦しむこともあるだろうに。30代を目前としてようやく「関ジャニ∞という居場所を見つけられた」からなのかな、とぼんやりと想像してはいますが。

    これまでは自分を守るためにどこか虚勢を張っていたという錦戸さんが、少しづつ纏っていた鎧を脱いで、心穏やかに過ごせる日々や、ありのままでいられる=フラットでいられる時間が増えますように、と願うばかりです。

 

 

 

    出会いは必然、別れは偶然。例え別々の道を歩むことになっても、この空の下で繋がっているから。また、いつか。

    数年後、「これで良かったやろ」って証明できるような未来を作れますように。「どうや」って胸を張って言えるように。

 

 

 

    関ジャニ∞のメンバー6人、そして渋谷すばるの未来に幸あれ!!!    

“俳優・錦戸亮”の引き出し/映画「羊の木」を観ました

 

 2018年2月3日。錦戸亮さんが「抱きしめたいー真実の物語ー」以来約4年振りに主演を務めた映画「羊の木」が公開初日を迎えました。

 

 

 映画の制作が発表されたのは、今から約1年半前の2016年9月23日。その当時、2018年公開と聞いて、「2018年になっても錦戸さんのことを好きでいられるのだろうか」と不安に駆られたりもしたのですが、そんな心配は杞憂でした。何なら、2016年9月よりも2018年2月現在の方が錦戸さんのことを好きだという自覚があるし、その好きだという気持ちは熱を帯びていく一方で一向に収まる気配を知らないので、きっとずっと好きなのだろうと開き直り、すっかり安心しきってこの現状を楽しんでいるのだから、この際仕方がありません。

 

 “NEWS・錦戸亮”でも、“関ジャニ∞錦戸亮”でもない。いわゆる“アイドル・錦戸亮”からではなく、“俳優・錦戸亮”がきっかけでファンになったことが影響しているのか、やっぱり“俳優・錦戸亮”には特別な思い入れがあって。久し振りに銀幕で“俳優・錦戸亮”に会える、と思うと胸の高鳴りは抑えきれず。まるで、明日の遠足が待ち遠しくてうずうずしている小学生のような。

 

 

 “想像を超える衝撃と希望のラスト”———映画の公開を今か今かと待ち焦がれること約1年半。そのキャッチコピーの真相を確かめるために、公開初日の朝一番の上映回。相当な覚悟(と期待)を持って、劇場へと足を運びました。

 

 

 以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 観る側の人間に息つく暇さえ与えない、この映画におけるただ唯一の“普通の人”である月末みたく、ひたすら手中で転がされ続けた126分間でした。錦戸さんの言葉を借りるならば「朝からすき焼き食ってる」みたいな感覚。口に運んで、辛うじて食道は通過したものの、いつまでも撹拌・消化しきれずに胃の中に残っているような。初見から早いもので一週間が経ちますが、未だにモヤモヤしていてこの独特な世界観から抜け出せない。観終わって、そんな不思議な感覚を抱いた映画は、生まれて初めてかもしれません。

 

 

 

 

 

そもそも、“羊の木”って? 

 映画公式サイトによると、東西交易がまだ至難だった中世の時代、ヨーロッパでは「東方には羊のなる木がある」と信じられていたそうですが。いかにも単純な発想すぎて、笑ってしまいたくもなるのだけれど。

 その単純な発想で考えるのならば、例え罪を償い出所した更生意欲の強い仮釈放者でも、「元受刑者」というレッテルは取り去られないまま、いつまでも「怖い」、決して普通の人とは分かり合えない“究極の他者”として排除すると考えるのが自然、ということになります。が、それでは、そのような考えばかりの世の中では生きづらい。大野の「人が肌で感じることはたいがい正しい」という言葉も確かに正しいかもしれないけれど、そんな大野の受け入れ先であるクリーニング店の奥さんの「私はあんたが悪い人だなんて、一つも肌に感じてないんだけど」という言葉に、僅かな希望を見出せたような気がしました。物語ラスト、海中に沈んだ巨大なのろろ像が引き揚げられるのをバッグに、奥さんが向けるセルフィ―カメラにぎこちない笑顔で収まる大野が、何とも微笑ましくて。理髪店に勤める福元も「俺が一番分かってると思うよ、前科者の苦労は。大事なことは、居場所があるってことだよ」という同じ境遇にあった店主に受け入れてもらえた。元受刑者だからと見限らず、自分の“居場所”を作ってくれた。結局のところ、元犯罪者であろうとなかろうと、「その人といたいか」どうかが大事なんだって。過去に囚われず、ありのままの自分とフェアに向き合ってくれる人々がいたから、大野も、福元も、理江子も、清美*1もこの街で、魚深の新住民として生きていけるのだと思います。

 

 

 

 

 

月末と宮腰

 そして、この映画において繰り返し登場する「友だち」というワード。主に宮腰が月末に対して、月末が宮腰に対して使う言葉、なのですが。この「友だち」っていうワードが狡い。魚深に新規に転入することになった6人の男女の受け入れ担当を命じられた月末が繰り返す「いいところですよ。人もいいし、魚も旨いです」という言葉。その言葉は宮腰を助手席に乗せた時、「いいところですね。魚とか旨いんでしょうね」という言葉が返ってきて初めて報われたというか。最初は市役所の職員として接していたのが、きっとその時から「この人とだったら友だちになれるかもしれない」と惹かれている部分もあったのかな、と。

 

 けれど、月末が昔から思いを寄せる幼馴染・文と宮腰が付き合い始めたと知ってからは、文に対して「友だち」としては絶対に言ってはいけない秘密を漏らしてしまって。「お願いだから、このことは誰にも言わないで」と文に懇願するところは、市役所の職員としての立場からの発言であったと思うけれど、勢いのあまり言ってしまったとはいえ、自分がやってしまったことの重大さに気が付いて、すぐに宮腰に謝罪の電話を入れたところは、「友だち」としての立場からすっと出てきた発言ではないかな、と。まあ、「とりあえず友だちと言っておこう」という狡い気持ちもあっただろうけれど、月末は例え元受刑者でも宮腰と「友だち」としていたかったのだろうな、と。

 

 そして、それは宮腰にとっても同じで。月末に対して何度も「市役所の職員として?それとも、友だちとして?」と問い掛けるのは、幼い頃から友だちも少なかったというバックグラウンドが感じ取られる彼にとって、月末が「元犯罪者」ではなく「友だち」として向き合ってくれた、数少ないうちの(もしくは初めての)一人だったからではないか、と。だから、ソファでいつの間にか寝てしまった月末の寝顔を見つめるだけで手をかけようとはしなかったし、真っ暗闇の中、明かりも点けずに縁側でエレキギターを抱えながら月末が起きてくるのを待っていた。

    岬に連れ出し、「月末くんと僕。どっちが生き残るか、のろろ様に決めてもらおう」と崖の上にいるのろろ様に判断を委ね、月末の手を引いて海に飛び込むところも、少なからず月末と宮腰の間には通じ合うものがあった。昨日もおとといも人を殺めたのに、そんな人殺し=“究極の他者”であるはずの自分に対して「警察行こう。また戻ってこればいい。待ってるから」「友だちだろ?」なんて何の躊躇いもなく告げる月末、宮腰はそんな彼の首を締めて殺そうとするけれど、最終的にはその手を離しますよね。それは、まだ“生まれたばかりの赤ちゃん”のように未熟で、時には何も考えず衝動的に人を殺めてしまう宮腰に、初めて迷いが生じたのがあの時だったのではないか、と。結果として、死の直前になって初めて芽生えた「誰かに対して本気で怒る」という感情。もしもあの時、月末の言葉を信じて、更生する道を選んでいたのなら。10年後、普通に月末とも「友だち」として過ごせていたのかな、とありもしない未来を想像して泣きそうになりました。

 

 

 

 

 

映画「羊の木」における“俳優・錦戸亮

 日本で公開初日を迎える前に、第22回釜山国際映画祭に正式出品、キム・ジソク賞を受賞した「羊の木」。そのワールドプレミアにて、この作品のメガホンを執った吉田大八監督は、“俳優・錦戸亮”についてこのように語っています。

 

「普通の人を演じる天才的な能力がある」 

 

 この映画「羊の木」で錦戸さんが演じたのは、どこにでもいるごく普通の市役所職員・月末一。けれど、その“ごく普通”を実際に演じるのは、すごく難しい役だろうと思っていて。だって、普通に立っているだけでも、そのオーラに圧倒されるのだから。

 

 けれど、完成した作品を見てみると。そこには“アイドル・錦戸亮”ではない、どこにでもいるごく普通の市役所職員・月末一として、この「羊の木」という独特な世界観の中に存在している“俳優・錦戸亮”がいた。

 

 月末が思いを寄せる幼馴染・文を演じた木村文乃さんも、

「インの日が区役所のシーンだったんですが、後ろから月末に声を掛けられて振り返ると、もう本当に昔からの幼馴染のような人懐っこい表情の錦戸さんがいて、「うわぁ月末だ」って思ったのを覚えています」 

 とコメントしていますが、 まさにそれで。演じているのは錦戸さんで間違いないのだけれど、そのキラキラとした、いわゆる“アイドル然とした”オーラは見事に取り払われていて。それこそ、ずっと地元・魚深から出ることなく、世話好きのおばさんに定期的に「彼女出来た?市役所に勤めてて、どうして出会いの一つもないかねぇ!」なんてお節介を焼かれながら歳を重ねてきたのだろう、なんて思いを馳せずにはいられないくらい。

 

 

 きっと、錦戸さんの頭の中にはAとBとはたまたZ、といったような演技の引き出しがいっぱいあって、それを丁度いい塩梅に料理するのに長けている、といつも感心してしまうのですが。奇妙な物語の中で、元受刑者6人に翻弄されることになる月末。「ひたすら受けの芝居が続く難しい役柄なのに、1シーンとして同じ表情がない」という監督の言葉に全力で頷けるほど。本人は「『今はこういう顔!』とか考えてやってない」とのことですが、これまで見たこともないような、錦戸さんの表情も発見できました。

 

 

 このブログを綴っていて、2008年秋に放送されていたドラマ「流星の絆」で共演した二宮和也さんが、錦戸さんについて語っていたある言葉を思い出しました。

 「錦戸くんがすごいのは、絶対音感じゃないけど、相対音感というか、そういうものを持っている点」

  相手に合わせる受けの芝居も、主演として全体を引っ張っていくこともできる。錦戸さん自身「(主役を食う演技をしてくる脇役に対して)一矢報いてやりたいみたいな。俺も死ぬほどねじ伏せる」と言っておりましたが、それは主演を務めたこの映画「羊の木」でも同じことで。主人公(=主役)はもちろん月末一なんだけれど、この役には物語の軸となる“普通っぽさ”が求められている訳であって、悪目立ちすることではない。あれだけ個性的な、むしろ強烈すぎるくらいのキャスト陣の中で、その“普通っぽさ”という軸がぶれることなく存在していたから、感情移入できて、126分間もの間月末と一緒に振り回されることができたのだと思います。

 

 

 やっぱり私は“俳優・錦戸亮”のファンなので、ファンという欲目なしに、この「羊の木」という映画を観ることはできないのだけれど。錦戸さんが主演を務めた映画だから、という理由で観たいと思ったので。もし、この映画を“俳優・錦戸亮”を知らない私が観たのなら、どんな感想を抱くのだろう。

 

 この映画を撮影していたのが2016年秋なので、約1年半の歳月を経て、2018年冬、ようやく“俳優・錦戸亮”の演技を堪能できたことになりますが。約1年半前に撮影が終わっている作品で、これだけ“俳優・錦戸亮”の引き出しの多さに圧倒されているのだから、本格的に大河ドラマ「西郷どん」の撮影を控えている2018年春、一体どうなってしまうのだろうという若干の怖さもありますが。初めての大河ドラマという大舞台に挑む“俳優・錦戸亮”の演技を、余すことなく見届けたいと思っています。

 

 

  映画を観終わった後、こんなにも内容について考えてしまう、ずっと頭から離れないのはこの映画「羊の木」が初めてでした。そんな「はじめて」をくれた作品の主演を務めたのが“俳優・錦戸亮”という事実。エンドロール、一番最初に映し出される「錦戸亮」の名前を観ながら、誇らしく思っていました。

 

 未だに「朝から食ったすき焼き」は消化されてはいませんが、消化しきった頃に、もう一度食べに行こうと思っています。

 

 

 “俳優・錦戸亮”、次はどんな世界を見せてくれますか?

*1:この「羊の木」という映画の中で、唯一他の受刑者との関わりのない清美。そんな清美も浜辺の清掃中に羊の木が描かれた缶の蓋を拾ったことで、家の周囲に死んだ小動物を埋めるという行動を取るようになるのですが。死んでしまった亀を前にして泣いている子どもに「さよならじゃない。木が生えて、また亀に会えるから」と慰める下りにあるように、死んでもまた生まれ変わって新しい命が芽吹く(=死は終わりではない)から、そうすることで殺めてしまった恋人を弔い、「希望」を願っているのではないかな、と。