「門出の日」に思うこと/“7人の関ジャニ∞”へ、思いを綴る。

 2018年7月8日。

 その日をもって、“関ジャニ∞渋谷すばる”として最後のテレビ出演は終了し、それと同時に、“7人の関ジャニ∞”は終わりを告げました。

 

 

 

 

 

 いつか、いつかこの日が来ることは、心のどこかで覚悟をしていたつもりでした。けれど、どうしたって寂しいし、辛くなるのは分かっていたから。傷つくことを恐れて必死に現実から目を背け、見ないふり、気づかないふりをして4月15日からの約3ヶ月間を過ごしてきました。特にここ数日のレギュラーを含むテレビ番組への出演ラッシュ、表紙に“永久保存版!”“関ジャニ∞渋谷すばるラスト!”という文字が躍るTV雑誌を見ても、これが本当に最後だなんて、どうしても思えなくて。

 

 

 これで、本当に本当に本当に、“関ジャニ∞渋谷すばる”は見納めなの? 

 これから先、メンバーカラーである赤色のマイクコードを握り締め、フロントに立って誇らしく高く突き抜けるような歌声を響かせる貴方はいないの?

 私たちファンの愛称である“eighter”。その名付け親である貴方がいなくなったら、誰が私たちの名前を叫んでくれるの?

 初主演映画『味園ユニバース』を引っ提げて向かったオランダ。異国の地で、白無地に大きく関ジャニ∞と書かれたTシャツを身に纏い「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます!」と堂々と宣言した、あの言葉は嘘だったの?

 「俺には友達が6人いる」。それを聞いた横山さんが多いやん、と突っ込んだら「…お前ら(=関ジャニ∞)のことや」と返したという貴方。そんな貴方が、大切な“6人の友達”、誇りであるといった居場所=関ジャニ∞というグループを離れて、たった一人で旅立っていくの?

 

 

 何で?どうして?

 

 

 いくら考えたって、決して正解になど辿り着けないことはとうに分かりきっていることなのに。けれど、どうしても考えずにはいられなくて。答えのない問題に翻弄され続けた、そんな約3ヶ月間だったように思います。

 

  メンバー全員が作詞・作曲を手掛けた、『元気が出るSONG』。その曲の一節を借りるならば、この時間が永遠に続けなんて願わないから、せめてあと少し。もう少しだけ、と思っていたのに。そんな僅かな抵抗でさえも、許してはくれませんでした。

 

 

 ついに、ついに訪れてしまった、別れの瞬間。“7人の関ジャニ∞”、最後の夜。

 

 

 番組開始8分前。ほんの少しだけ最終リハーサルをする7人が映し出されたのですが、その様子を見ただけで、たちまち早くなる胸の鼓動。浅くなる呼吸。カラッカラに渇く喉。午後11時10分、番組開始時間を迎えるまでの8分間。今しかない、今この感情を認めておこうと、ひとまずTwitterを立ち上げてはみたものの、キーボードを打つ指まで震えてくる始末。正直、生きた心地がしませんでした。

 

 

 2015年5月10日の番組開始以来、初の生放送が行われた関ジャム。“7人の関ジャニ∞”を締めくくる、最後の夜。そんな生放送は、①メンバーが選ぶ“忘れられないセッション”、②東京スカパラダイスオーケストラと生セッション、③関ジャニ∞最後に届けたい楽曲を生披露、の3本立てで送られました。

 

 

 ①メンバーが選ぶ“忘れられないセッション”は、3年前の番組開始以来、約150回ものセッションを行ってきた中から、メンバーそれぞれがチョイスし、その映像とともに振り返っていくというものでした。Purfumeの『ワンルーム・ディスコ』でのすばるくんのダンス、しかも女性の振り付けという貴重な組み合わせ。「関ジャニ∞の曲でもやったことないのに初めて家で1人でダンスの練習をした」というすばるくんが、「オンエアを観て、自分じゃないみたいで変だけど面白かった」と振り返るように、目尻に皺を寄せて、手を叩いてアッハッハと笑う姿を見て、ほっとしました。そして、セッションには参加していないのにも関わらずそれをセレクトし、「自分の家帰って自分のセッションより、あれのが見たもん!」と力説する村上さん、思わず「かわいい…」と呟いた自他共に認める“渋谷ファン”である丸山さんも含めて、最後の最後まで、私たちが知っている関ジャニ∞のままで。途中、番組で共演した大物アーティスト2名からのコメント*1が流れ、思わず目を潤ませる場面もありましたが、終始楽しそうに、笑い合っている7人がいて。ああ。これが“関ジャニ∞”なんだって。何も変わらない、私たちの好きな“関ジャニ∞”だって、改めて気づかされました。

 

  ②東京スカパラダイスオーケストラと生セッションでは、ベストアルバムで2組がコラボした『無責任ヒーロー』を披露。2008年にリリース、関ジャニ∞の人気を一気に押し上げたこの曲が、発売から10年後の2018年夏、こんな進化を遂げることになるだなんて、誰が想像できたでしょうか。こんな豪華なセッションが実現できたことも、偏にこの『関ジャム』という音楽番組で、日本を代表するような大御所のアーティストから若手のアーティストまでの繋がりができたことが一番の要因ではないのか、と。関ジャニ∞に老若男女、ジャンル問わず幅広い“繋がり”をもたらし、すばるくんにいつまでもいたい居場所=関ジャニ∞から旅立つ“”をもたらすことになった、音楽。まさに「音」を「楽」しむ、という文字を体現したかのように、弾けんばかりの笑顔で、歌い楽器を演奏する姿。最後の最後まで、「音」を「楽」しむ7人がいたことが、ただただ嬉しかったです。そして、東京スカパラダイスオーケストラの皆さま。お忙しいところ、しかも夜分遅くの生放送。最後の“7人の関ジャニ∞”の夜を締めくくるに相応しい、素晴らしいセッションで花を添えてくださり、ありがとうございました。衣装であるグレーのモッズスーツに、さり気なく担当楽器(または隣り合っているメンバー)のメンバーカラーを取り入れてくださっていたことにも、深い愛情を感じました。本当に、ありがとうございました。

 

 そして、③関ジャニ∞最後に届けたい楽曲を生披露。6月27日の『テレ東音楽祭2018』を皮切りに、明るく元気なポップスから、しっとりと聴かせるバラード、そして熱く泥臭いロックまで。ジャンル問わず、様々な曲を披露してきた中で、“7人の関ジャニ∞”が最後に届けたい楽曲って何だろう?(私の中で)大穴だった『Heavenly Psycho』はすでに『関ジャニ∞クロニクル』で歌ってしまったし、それ以外なら、『BJ』?

 

 

 ———様々な考えが頭を過りましたが、彼らが最後に届けてくれたのは、これ以上ない、最高のセットリストでした。

 

 

 『大阪ロマネスク』『LIFE~目の前の向こうへ~』。その2曲に共通しているのは、どちらも渋谷すばるの歌い出しから始まる曲である、ということ。すばるくんの、あの高く突き抜けるような歌声なしには始まらない、そんな2曲。そんな2曲を、この“7人の関ジャニ∞”の最後に選んだことに、どうしても7人のこれからへの強い覚悟を感じずにはいられなくて。とんでもないものを放り込んでくれたな、というのが正直なところです。正真正銘の最後にこんなものを見せつけられたのでは、渋谷すばるに、6人の関ジャニ∞に。これからも全力で付いていく以外の選択肢なんてないのでは、と思わず頭を抱えてしまうほどに。

 

 

 

  横山さん。会見の日、村上さんがすばるくんとの思い出を聞かれ「死ぬ訳じゃないですから!」とくだけた雰囲気になり、他のメンバーから笑いが漏れた時も、ただ一人だけ口を一文字に結び、「正直、今日という日が本当に来ないでほしいという思いでいっぱいだった」と涙ながらに語った貴方。儚くて脆くて、今にも崩れ落ちてしまいそうだったあの日の面影はどこにもなくて、いつになく気丈に振る舞う貴方がいて。『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』の宣伝のため出演した、翌朝のめざましテレビ。連日の疲れもあるのか、その目は心なしか腫れているように見えました。生放送中には決して見せなかった涙。人一倍情に弱くて涙脆い貴方が、よく耐えたなと。何よりも「すばるを送り出さないといけないという決意が大きい」と、大きな決断をした“親友”の背中を押してくれた。貴方が、関ジャニ∞の“長男”で良かった。ありがとう、横山さん。早朝からの番宣ラッシュ、お疲れ様でした。どうか、どうか、ゆっくり休めていますように。

 

 村上さん。会見でも、今後のテレビ出演やライブについてなど代表して話す役割を請け負い、平静に普段通りの姿を貫こうとして。そして、生放送でも自分に与えられたMCという役割を全うして。地元も近くで同い年、お互いを「すばる」「(地元の友人しか呼ばないあだ名)むっちゃん」と呼び合う仲である大切な“幼馴染”と袂を分かつことになる人生なんて、想像すらしていなかったでしょう。「初めは『何でや』と『嫌や』しかなかった」、という言葉からも分かるように、寂しくない、辛くないはずなんてないのに。「(村上さんは)あんまりしっかりしてなかった。いつも、すばるくんの後ろをひょこひょこ付いていっている感じ」*2と、錦戸さんがJr.時代を振り返るように、横山さん・すばるさんのように対して面白いことも言えず、ただ2人の発言をなぞることしかできなかった。「ヨコには演技の仕事があるし、すばるには歌があった。俺には、何もなかった」と足掻いていた貴方が、ようやく見つけたMCというポジション。やっと収まる場所を見つけた貴方に、昔の“泣き虫ヒナちゃん”の片鱗はどこにもなくて。貴方が、すばるくんの“幼馴染”で良かった。ありがとう、村上さん。

 

 丸山さん。あの状況の中でも、「eighterの中にも、ファンの方の中にもどんな風にこういう事実を受け止めるかというのは、僕たちの手の届かないところで色んな風に想像したり考えたりするのは当然だと思う」と突然の状況に困惑しているであろう私たちファンを思い遣る優しさをくれた貴方。そして、生放送でもジャンクションから不思議なテンションを纏いながらも、ファンを安心させるかのように、何度もカメラに笑顔を向けてくれた。忘れられないセッションに、和田アキ子さんの『古い日記』を選曲した貴方。その理由が、「映画で、すばるがこの曲を歌うシーンにシビれてしかもそれをアッコさんご本人と歌う。ボクからすると不思議な光景で興奮した。」なのだから。照れ隠しのように笑う貴方を見て、ただの渋谷すばるのファンやん、と微笑ましくなって。貴方が、関ジャニ∞の“ムードメーカー”で良かった。ありがとう、丸山さん。例え進む道は違っても、すばるくんのソロコンの楽屋に(当の本人に挨拶すらもせず)真っ赤な薔薇を一輪置いて帰っていくような、そんな貴方でいてください。

 

 安田さん。ほんの数日前まで、貴方の背負っていた荷物が、こんなにも重くて苦しいものだったなんて知りませんでした。しかも、去年の2月上旬からだというのだから。それまで心も身体も辛い中、そんな素振りを微塵も感じさせずレギュラー番組の収録やコンサート、舞台に全力を尽くしていたのだと思うと、言葉になりません。“他人の幸せは自分の幸せ”と嘘偽りなく言い切ってしまう、優しすぎる貴方だから。きっとドクターストップがかかるギリギリまで、まだ痛む身体を押してまで、大切なメンバーの脱退会見に出席しようとしてくれたのだと、容易に想像がついて。今回だって、全然いつも通りではない中、今できるベストなパフォーマンスを見せてくれた。「関ジャニ∞を離れても、渋谷の音楽に聞き惚れていけば、という想いを込めて渋谷を送り出したい」、といった言葉にもあった通り、終始愛おしげに、温かい眼差しですばるくんを見つめる貴方がいて。貴方が、すばるくんの“一ファン”でいてくれて良かった。ありがとう、安田さん。“ヤスダ100%”を見せてくれるその日まで、勝手に好きでいさせてください。

 

 大倉さん。あの会見に出席することも「最初、嫌だった」と、(後に自らのラジオ番組でも反省している、と発言していましたが)終始不貞腐れた顔をし、「こういう場に立つのであれば、こういうところでどんな発言をするのか横で聞いていたいなと思った」と感情を爆発させていた貴方。きっと、すばるくんの後ろでドラムを叩くことが好きだったから。彼の独特な笑いのセンスが好きだったから。仲間に対しての優しさが好きだったから。夢に対して語る熱い言葉が好きだったから。「一緒に7人で夢を追いかけていきたかった」けれど、それが叶わない未来が悔しかったからなんだって。けれど、「勝手な決断をしたすばるくんのことを、嫌いになれなかった」から。“関ジャニ∞7人最後の演奏”に選んだ、『LIFE~目の前の向こうへ~』。大サビ、“あの日交わした約束をずっと覚えているから 涙堪えて”。前で歌うすばるくんに、真っ直ぐに手を伸ばし、力いっぱいドラムを叩き、その背中を押ししてくれた。最後の最後まで、すばるくんが好きだと言った“大倉のドラム”を全うし、とびっきりの笑顔で送り出してくれた。「すばるくん、頑張って」。番組終了直前、姿こそ見えなかったけれど、そう小さく呟いた声。しっかりと、届いていたよ。貴方が、どこまでも頼もしい“関ジャニ∞の最年少”で良かった。ありがとう、大倉さん。

 

 

 

 そして、すばるくん。「この先は今までの環境ではなく、全て自分の責任下で、今後の人生を音楽で全うするべく、海外で音楽を学び、更に自分の音楽を追求していきたい」。あの日、あの真っ直ぐな目で、じっと前を見据えて、そう決意を口にした貴方。会見で、背中を押そうと思った具体的なエピソードについて聞かれた時。「話というより、目ですね。」と村上さんが語った、あの曇り一つない目。その目を見た時に、この人がこれから背負っていくであろうものは決して生半可なものではないと。一時的な感情ではなく、中途半端な覚悟や中途半端な想いでもない。これだけ腹を括っているのだ、ということが伝わってくるほど。彼らが共に過ごした約21年間には、その年数も濃厚さも遠く及びませんが、それでも、それでも。じんと心に沁みました。

 4月15日からの約3ヶ月間。“6人の関ジャニ∞”として初めての5大ドームツアー『KANJANI'S ENTERTAINMENT GR8EST』。その初日である7月15日、札幌ドーム公演を迎えるまでの、約3ヶ月間。その時間を、貴方がどのような気持ちで過ごしてきたかなんて、私たちが知る由もないけれど。

 

 

「あのー…この番組始まって約3年間、今日まで本当に毎回、緊張感と達成感と、貴重な経験・時間を過ごさせてもらいました。本当に感謝してます。ありがとうございます。あのー…これからもこの番組続いていくんで、変わらずに、『関ジャム』楽しんでいただきたいと思います。えー…ジャニーズ事務所のタレントとして21年間、そして関ジャニ∞というグループのメンバーとして14年間、今日まで活動させていただけたことは、自分の人生にとって何よりの誇りです。本当にありがとうございます。今この最後の瞬間も、ここにいる6人の仲間たちにすごく支えられてます。本当に感謝してます、ありがとう。えー…これからの、“6人の関ジャニ∞”に是非、期待してください。では、“7人の関ジャニ∞”として最後の曲、聞いてください。『LIFE~目の前の向こうへ~』。」  

 

 ———時折言葉を詰まらせ、目を潤ませながらも。あの真っ直ぐな目で、じっと前を見据えて、そう決意を口にした貴方を見て。ああ。彼は、渋谷すばるは、こういう人だった、と。飾り気のないシンプルな言葉の中に込められた、真っ直ぐで熱い想い。その想い、しっかりと受け止めました。そして、「eighter!」と力いっぱい叫んだ声も。こんなに格好良く、ジャニーズ事務所から“中退”していったアイドルを、私は渋谷すばるの他に知りません。去り際まで余すところなく格好良いだなんて、ずるい。ずるすぎるよ。

 

 

 

 渋谷すばる。そして、“6人の関ジャニ∞”。彼らはきっと、どこまでだって行けると思う。出会いは偶然、別れは必然。約14年前、関西出身のメンバー8人で関ジャニ∞が結成されたことが偶然だとするならば。何も変わらない気持ちを7つ根っこで引っ張り合っている、そう簡単には切れない絆で結ばれている彼らならば。今、別れることが必然だとしても、またいつか。

 

 

 

 ありがとう、“関ジャニ∞渋谷すばる”!

 ありがとう、“7人の関ジャニ∞”!

 この先歩む道に、聖なる光が射しますように!!!

 

 

 

 

 

 錦戸亮と「永遠」について考える。

 錦戸亮と「永遠」について。錦戸亮という人物を語る上で、「永遠」という言葉なしには語れないというほど、頻出・必須のこのワード。いつか、いつか、記事にしたい。そう思い始めたのはいつの頃だったか、すっかり忘れてしまったのだけれど。錦戸さんにとっても、一錦戸担である私にとっても永遠の議題であった、「永遠」。

 ———そう、永遠の議題であったはずなのに。2018年7月12日、『関ジャニ戦隊∞レンジャー』。その「永遠」という言葉を廻って、錦戸さんに起こった変化に衝撃を受け、勢いそのままに、このブログを綴っています。

 

 

 正直世の中に「永遠」なんてない。 

 

 

 誰よりも「永遠」という言葉を信じ、「永遠」という言葉に縋っていたはずの錦戸さんが、そんなことを口にしたのだから、驚きました。どういった心境の変化なのだろう。

 

 

 “事務所に入所したてで右も左もわからない13才の僕を、可愛がり道標を示してくれた”先輩である、すばるくん。しかも、“関ジャニ∞でもずっと2人で歌ってきた”、同じメインボーカルを務める2人。理由は違えど、またメンバー一人がグループから離れてしまうという現実。寂しくない、辛くないはずなんてないのに。それでも、精一杯「寂しい」という感情に蓋をして、これからの道を一人で切り拓く決心をした仲間の背中を押してくれた。「門出の日」なんて、なかなか言える言葉じゃない。改めて、強い人だと思い知らされたのですが。

 

 

 けれど、“7人の関ジャニ∞”、最後の夜。“7人の関ジャニ∞”、最後の演奏。感情を露わにして、一筋の涙を流した錦戸さんを見て。やっぱり、この人は「寂しかった」んだな、と。

 

 

 思えば、 7月6日の『MUSIC STATION 2時間SP』を皮切りとした、3夜連続の音楽番組出演。その日を前日に控えた『関ジャニ戦隊∞レンジャー』から、いつもと様子が違っていました。

  

「でも正直僕は次のステージしか見据えてないです。」 

 「見ている皆さんが楽しめるかどうかはわからんけど、うん。越えなきゃ。色んな壁を 峠を 皆さんの期待を よっしゃ。」 

 

 すばるくんの脱退に加え、安田さんの体調への懸念もあり、ファンやグループ全体が揺れていたこのタイミングで、「全員しばいたる」と皆を奮い立たせるような、前向きな言葉をくれたことは嬉しかったのですが。それと同時に、また一人で抱え込んではいないかと。いくら無理をするな、と言ったところで、絶対に無理をしないはずがない錦戸さんのことなので、どこかで折れてしまわないか、勝手に心配をしていたのですが。

 

 

 “7人の関ジャニ∞”、最後を締めくくった『関ジャム』。オープニングから、いつにも増してよく喋るし、メンバーの会話にも積極的に入っていく。まるで、“関ジャニ∞渋谷すばる”、そして“7人の関ジャニ∞”への別れを惜しむかのように。

 

 

「ここ(関ジャム)でやってきたことってすごい財産になっていると思うんですよね。僕らの中でも、もちろんすばるくんの中でもなってるでしょうし。まあ、それをこれから形にしていくのは僕らであり、すばるくんであるのかなっていうのはほんまに思うんでね。これから先関ジャニ∞もそうですし、渋谷すばるも、関ジャムも、よろしくお願いしますという気持ちですかね。うん。」 

 

 なんて、自分自身に言い聞かせているようにしか、どうしても思えなくて。その辺りから、自分が感じていた違和感の正体がはっきりとし始めました。

 

 

 “7人の関ジャニ∞”が、最後に届けたい楽曲。その一曲目の、『大阪ロマネスク』。メロディーが流れ、自分ではない他のメンバーのパート。しきりに上を見上げたり、浅い呼吸を繰り返す。その様子から、必死に涙を堪えようとしているのだというのは、容易に想像がついて。大サビ・錦戸さんのソロパート、「今日も誰かがめぐり合う遥か遥か西の街 恋をするなら御堂筋から始まるのさ 雅なる物語」。その状況で、果たして歌い切れるのかと心配になりましたが、しっかりと歌い切った錦戸さんを見て、ほっとしました。

 

 

 けれど、二曲目。本当に本当に本当に最後の、“7人の関ジャニ∞”、最後の演奏。『LIFE~目の前の向こうへ~』。序盤・すばるくんとのパート、「まだまだ終わらないから」を歌い上げた後。聞こえてくるはずの、錦戸さんの歌声がない。マイクからも一歩遠ざかり、ギターを掻き鳴らす姿にも力がない。何かがおかしい。思わずあっ、と声が出た時にはすでに、錦戸さんの目から涙が伝っていました。お芝居ではない、錦戸さんの「悲しい」「辛い」という気持ちから流す涙を、今まで見たことがなかったので、余計に胸を締め付けられて。今回のことで一番辛いのは、誰よりも関ジャニ∞のメンバー7人なのだから。そう思って、必死に涙を堪えていたけれど。一筋の涙を拭おうともせず、顔を歪ませて泣く錦戸さんを見てしまったら。私も、どうしたって無理でした。

 

 

  あの日、すばるくんの“旅立ち”を、「門出の日」という前向きな言葉で表現した錦戸さん。会見でも、『関ジャニ戦隊∞レンジャー』でも。そして、『関ジャム』でも。じっと前を見据えて、力強い言葉で、折れないように必死に自分を奮い立たせていたけれど、本当は「寂しかった」んだと。そう言葉にし、今まで張っていた糸がプツンと切れたかのように、堰を切って泣き出した錦戸さんを見て、安心したのも事実です。こんな、一錦戸担でごめんなさい。決して、そんな人ではないとは分かっているけれど、湧きだした「寂しい」という感情に蓋をすることなく、この日を迎えることができて良かったです。

 

 

 錦戸さんが「永遠」なんてない、と言い切ってしまったので、錦戸さんが「永遠」を信じなくなってしまった世界に生きているのだ、ということを思い知らされた、この2018年夏。

 

 

「6人の関ジャニ∞もいつまで続くかなんてわからへん。」 

関ジャニ∞錦戸亮として、過ごせる間は精一杯やりたいと思います。」 

 

 ———その言葉がある限り、私も精一杯ついていこうと思います。これからも、今までも、いつまでも。好きでいさせてください。

 

 錦戸亮の未来に幸あれ!!!

*1:X JAPANYOSHIKIさん、さだまさしさん。「渋谷さん、新しいステージでご活躍される姿を楽しみにしています。そして、新たな形でスタートする関ジャニ∞、期待しています。頑張ってください!!」(X JAPANYOSHIKIさん)、「これからいわゆるアイドルグループから抜けて、ソリストとして頑張っていこうという気持ちになられたというのは分からないではない。グループから離れて一人になるとこれまた大変なので、これからの努力が本当に大変だろうと思うけれど、同じ音楽仲間として是非ともその夢が大きく実るように祈ってますし応援してます。また、他のメンバーの皆さんは、相変わらずいつものように明るく楽しく仲良くやっていくんだろうなと思うけれど、頑張って違う世界を作っていただけるといいなと思います。渋谷くん、頑張ってください。」(さだまさしさん)。

*2:2009年10月18日放送 『ザ少年倶楽部プレミアム